「弓を見よ、敵あるときは重宝この上ない。 だが国が治まっているときは袋に入れ土蔵に納まっている」
名将言行録に納められた福島正則の痛烈な一言は、還暦を越えた私には強力に響きます。
豊臣秀吉の最強戦士軍団「7本槍」の一人である福島正則は、特に戦場の暴れん坊として戦国の世に君臨しました。
しかし、天下が統一されだすと武勇より文治に優れた者が必要とされるのです、そのときの正則の「ぼやき」がこれです。
何時の時代も自分の好ましい状態は長くは続きません、つまり常に時代とは動いているものなのです。
その動きのある時代において、必要とされる人材もまた日々変化するものです。
時代を読み自分の身の置き所を心得る者、また時代が変わり世が欲するときに活躍する者です。
成功する人は知っています、「時代が変わり、世が欲しないときこそが身の引き際であり、次の世に出る為の大きな熟成期間である」ことを。
常に全力疾走では疲れてしまいいざという時に能力を発揮できません、自分の活躍の場と出番のときを弁える者はやはり成功する人と言えるでしょう。
「勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする」
兵法を自在に操ったと言われる武田信玄の意味深い一言、深い洞察力を感じさせるものです。
五分の勝利であれば、今後に対して励みの気持ちが生じて内外に大きな問題も残さず士気を維持できます。
七分の勝ちなら慢心が生じ、完全なる勝利であれば驕りの気持ちが生まれ、更には敵対勢力に遺恨を残し後の大きな争いごとに繋がることになります。
この言葉を裏付けるように、信玄は4度に渡る上杉謙信との川中島の合戦においても有利な時も決して深追いをしなかったのです。
謙信はこの信玄の戦法に対しての謙虚さをこう評価しました、「自分が信玄に及ばぬ所はここにある」と。
ビジネスも同じことです、ライバルやパートナーとは決して争ってはならないのです、「利を分かち合う」ことが業界全体を成熟させ自らの利益を増やすことに繋がるのです。
自己利益のみを追う者は結果的に孤立して利益に恵まれることはありません、いつの時代もどんな世界にも通じることです。
「いくら考えてもどうにもならぬときは、四つ辻へ立って杖の倒れたほうへ歩む」
泰平の世をもたらし江戸幕府を築き上げた徳川家康の、なぜかほっとする一言。
数多い徳川家康が残した言葉から何故これを選んだのか?
天下人であろうがしょせんは人の子です、神頼みにすることもあるというところがなんとも人間らしいと思えるからです。
経営者も幾ら考えても判断しようがないことなど山ほどあります、そんな時はどっちでもいいから何かを選んで進むしかないのです。
正解とは結果にすぎないということを理解していれば、何を選んでも正解と思えるように上手く運ぶしかないのです。
ビジネスも全てが結果です、何を選んできたかなどという選択の過程には何の価値もありません。
まして道中に起こる刹那の事象などはどうでもいいのです、評価にも値しません。
結果を残せば正解、残せなければ不正解、物事は極めてシンプルなのです。
「人は皆、ただ指し出るこそ良かりけり。 戦のときも先駆けし」
どんなときでもしゃしゃり出ては先輩家臣から煙たがられた秀吉が、先輩家臣へイヤミたっぷりと込めて放った一言です。
当時の武士道には「先輩への配慮」がマナーとして浸透していました、しかし秀吉は「混乱の世にあって武士のしきたりなど意味が無い」とばかりに、「天下統一の実現」を大義名分とし我先の行動を起こします、これが混乱の時代を制する天下人の成功の秘訣でした。
戦国の世はそれまでの平穏とは一変し短期間の混乱と変化の時代です、まさに現在のITが齎したデジタル革命の破壊力と同様の「大変化の時代」と酷似しています。
AIよろしくデジタル化全盛を迎える今日は明日何が起きるか解りません、こんなときに過去の事例も常識も何の役には立たないのです。
兵法三十六計にいう「反客為主」(はんかくいしゅ)、「他者が主導している事において、一向に成果が上がらないのであれば、大義名分を以ってその人に代わり自分が主導者となる」という教えです。
逆に言えば、トップは常に成果を上げ続けることができないとすれば自ら潔く他者にその地位を譲ることです、これもトップの責任として重要です。
それをしなければ、ついてくる者が不満や不安を抱え何れはその組織は崩壊してしまいます。
地位と既得権にしがみつくばかりで周囲の人達に利益を齎せないのであれば、仲間が反乱を起こしその地位を奪ったとしてもそれを咎める理由もありません。
混乱の世の真っただ中にあっての「善き夢を見するがな」、これも秀吉らしい名言の一つです。
混乱と大変化の時代は「保身に入り挑戦を諦めた人から淘汰されていく」、いつの時代も同じなのです。
保身に入った人を幹部として雇う人もまたいません、最も危険な行為は「安全な場所を確保する」行為なのです。
守ろうと思えば守れない、真の守りとは「時代に逆らわず自らを犠牲にしてまでも、変化についていくチャレンジ精神」から生まれるのです。
「この度のひょうたんの相印、面白き趣向である。 とりわけ味方の吉事なれば、この後の例として馬印に用いるべし」
織田信長「太閤記」に記されている羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に対して、織田信長が贈った温かい一言です。
ひょうたんの馬印は秀吉には欠かせない物でした、その起源が稲葉山城攻略の際の秀吉が考案した味方同士の相印に用いたひょうたんでした。
その後、織田信長から冒頭の言葉のように提案が出せれ、その日以来秀吉は結果を出す度に馬印のひょうたんを一つずつ増やしていき、数年後には文字通り千成ひょうたんのようになったといいます。
鬼のように表現されている信長ですが、実は各書に記された文章からは庶民の生活を自ら常に見て回っては改善の提案を行い、心を寄せる家臣には熱い情を注いでいます。
志高き人にとって心の拠り所となるお守りや揺るぎない信条は、いつの時代も重要なものです。
どんな人でも鬼ではなく人の子です、他者ではなく天や神に救いを求めるのは当然のことかもしれません。
抱えきれない重圧を癒してくれるものがなくては、平常心を保つのは極めて難しいものです。
大事を成そうとする者は他者には一切の弱音を吐くことはしません、それは自身の志が揺らいでいることを周知させてしまうことを知っているからです。
もしも弱音や愚痴を吐くなら、人間以外の動物か物に対してのみに留めるべきかも知れません。