2025年5月14日 06:00
子曰く「四十にして惑わず五十にして天命を知り、
六十にして他者の話を素直に聞けるようになり、
七十にして心の欲するところに従えど矩 (のり) をこえず」。
その歳に相応しい正しい生き方を説いた孔子の教えである。
いい歳をして尚も自身の存在意義と使命に気付かず、
「何故ここに居る?」の質問にも明快な回答が出せない。
目的思考ではなく生活の為の手段思考の人が多くなった。
何事にも意味と理由が明確に存在している。
自分が生まれてここに居る意味も理由も当然に在る。
その意味と理由を明確に理解できなければ、
今優先すべき事項と付き合うべき人も当然解るはずもない。
ただただ自分と家族の生活の為に嫌な労働を自身に課して、
働く為に生き続ける人生が意義在るものなのだろうか。
お金を得る手段の労働と、
理想の実現を目的にしたビジネスとは180度異なる。
手段に甘んじているから人生の疑問も出ない。
「何故ここに居る?」の質問に明快に回答できない人に、
他者の気持ちも存在意義も理解できるわけがない。
そしてあらゆる存在に感謝することもないのだろう。
正直あまり関り合いたくない人である。
価値観と互いの存在意義が共有できない人は、
きっと同じ時空を生きながらも別の次元に住む人なのだ。
そう考えると妙に心が楽になるのを覚える。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。