2025年5月12日 06:00
私は信州の大自然の中で生まれ育った。
信州ではいまだにお返し文化が息づいている。
何かを貰ったら必ずお返しするのが当たり前。
例えば風呂敷にお土産を包んできた人には、
その風呂敷にお返しを包んで渡す。
紙袋もそのまま受け取ることは絶対にしない。
それができなかったら、
どんなに困っても誰も協力などしてくれない。
これが与え与えられの共存共栄文化というものだ。
そんな私は貰うだけの人にはもの凄い違和感を感じてしまう。
見えるものだけではなく見えないものも含めてだ。
何故貰うだけでお返ししようという気持ちが芽生えないのだろう。
更に言えば気持ではなく姿勢を示さなくては駄目なんだ。
貰うだけの人は生まれ育った地が貰うだけ文化の地なのだろうか、
それともその人独自の貰うだけの個性なのだろうか。
いまだに明確な回答は見つかっていない。
ただ最近の私は大人の対応をするのにも限界を感じつつある。
何れは貰うだけの人とは縁を切ることになるだろう。
私の人生には一方通行の人間関係など存在していないのだから。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。