縁とは真に摩訶不思議なものだと思う。
最良のパートナーだと信頼していた人が、
いとも簡単に信頼関係を蹴ってまで自己保身に走る。
もう二度と会わないだろうと思っていた人が、
数年後に再開した途端に最強のパートナーとなる。
縁があればどんな別れ方でも再会し、
縁が無ければどんな深い関係でも瞬時に崩壊する。
「どんな人とどんな縁で結ばれているか」
これを常に考えられる人が真の信頼関係を築き、
多くの縁の力を得て成功を収めているのは事実である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
価値観とか世界観などの異なる感覚問題の話。
これらは押し並べて言えば感性の問題、
もっと言えば個性の問題である。
幾ら説明しても解らない人には一切伝わらない。
何も説明しなくても解る人には全てが正確に伝わる。
これを私は同じ姿恰好をした別の生命体だと思うようにしている。
そう考えるとイライラしないし悩む必要もない。
同じ時間と空間を共有していても、
共通の意思疎通手段が存在しない生命体だと思えば看過できる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
これはコンビニ弁当の話である。
温めないと美味しくないハンバーグや焼肉弁当。
それなのにサラダや漬物が入っている。
茹ったサラダに熱い漬物。
これを美味しいと思う人がはたしているだろうか?
これこそ顧客不在のやっつけ仕事の極みである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
新型コロナウイルスパンデミックが真に人類に齎したもの。
打ち合わせも商談も今ではリモートが主流。
最初は違和感があった風景が今では当たり前のようになった。
変化を頑なに拒んできた者もこれに順応するしかない。
これも一つの進化であり新たな文化の台頭である。
新たな文化に順応できない者は淘汰されるだけである。
次世代デジタルデバイド時代の到来。
こんな形で10年前倒しで実現するとは誰が予測できただろうか。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
フリを繰り出す古狸。
全てを解ったうえでの気付かぬフリ。
熟知してることは知らぬフリ。
ストレスを感じれば寝たフリ。
相手の真意と信頼を見極める酔ったフリ。
余裕有るなかでの余裕無いフリ。
持っていても持っていないフリ。
百戦錬磨の古狸はフリを繰り出し真意を確かめる。
フリに振り回されているうちは信頼されていない証拠。
信頼している人にフリを繰り出す必要もないだろうから。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。