「信じる者は救われない」とは、
「信じる者は足元を掬われる」から転じた言葉。
信じた結果において騙されようが、
期待外れだろうが潔く受け入れることだ。
一度でも信じた人を信じ通すには覚悟が問われる。
最後まで覚悟が決まらない人が、
言い訳で作る言葉には心は微動だもしない。
私はこれまで他者を信じることで失ったものは何もない。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
何かを得ようと思うなら、
それに相応する何かを差し出さなくてはならない。
与えずに都合よく得ようとしても天は許さない。
食えないプライドを捨て、
意味の無い人脈を捨て、
つまらない拘りを捨て、
初めて願いが叶うというものだ。
抛磚引玉(ほうせんいんぎょく)の如く瓦礫を捨てて宝玉を得よ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
心に曇りが無い無垢なる笑顔。
老若男女問わずに幸せな気持ちにさせてくれる。
女性は年齢に関係なく心から素敵だと思う。
男性は言い表せない強い信頼感を感じる。
それだけに作り笑顔は腹立たしく思う。
笑う時は心に一切の曇りも無く笑うこと。
無垢の笑顔に飾り言葉は不要である。
その笑顔ひとつで全てを理解できるから。
つまらない言葉は笑顔を安っぽくするだけだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
思慮が足りない人は罪である。
自身の言葉と結果に責任を持たないから。
それを言ったらどうなるかという、
結果予測は人間関係上極めて重要な要素である。
言いたいことが言えないのは思慮深い人だからだ。
思慮が足りない人は言わなくてもいいことまで口走ってしまう。
言わなくてはいけないことは聞かれないと言わないくせに。
だから信頼関係が結べないし他者からの保障も受けられない。
物事万事に思慮深くあれ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
「ファンを増やして儲けよう!」
SNS全盛期に誕生した懐かしいキャッチコピーである。
残念ながら結果はキャッチコピー通りにはならなかった。
そもそもファンとは利害関係を築きたいわけではなく、
単に外側から応援することを美学としている人たちである。
だからファンは優良顧客には絶対に成りえない。
更に自分の周囲の人を顧客として紹介もしない。
他者の熱烈なファンになったこともない人が、
ファンを意識したビジネスを考え推進するのは不可能である。
なぜならファンの心理を正しく理解できないからである。
昨今こうして独り善がりな思い込み人間が淘汰されていく。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。