攻めの姿勢とは積極的に動くことのみに非ず。
思い入れや思い込みを排除すること。
起きている事実だけを正確に把握すること。
じっと相手の動きを見ること。
冷静に情報を収集すること。
極めて有効な策を思案すること。
焦る気持ちをぐっと抑えて天の時を待つこと。
見えているものに翻弄されないこと。
見えないものを全方位で思考すること。
これら全てが強烈な攻めの姿勢である。
動くより待つことは強靭な精神力が必須となる。
守りでなく動かざる静なる姿勢もまた攻めの姿勢。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
AI全盛期の到来で多くの業務がAIに置き換わっていく。
「自分は大丈夫」だという保障は何処にもない。
逆にそういう人ほど置き換えの対象になっていく。
ビジネスでの多くのミスは人的な能力欠如によるもの。
他者の気持を正確に理解できない人の存在が根本原因である。
思い込みによる勘違いに自己都合による歪曲理解。
意味の無いプライドに面倒くさい承認欲求。
まあ人間らしいと言えばそれまでだが、
周囲が大人の対応をしてくれる時代は既に終焉している。
何か不都合があればすぐ訴訟を持ちだされる。
世の中の多くの企業は無意味なトラブル回避を思考する。
その最も早く安く導入できる施策が業務のAI化ということだ。
何事にも意味と理由があるという根拠がここにある。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
自身の周辺で発生するトラブルの件数は、
関係している人の乗数に比例しているという。
1人なら1だが2人なら4となり10人なら100となる。
目的も無く付き合う人との意味の無い腐れ縁は、
何をしても有益なものを生むことはない。
もっともトラブルに巻き込まれることで、
生きている証を欲しているのであれば話しは別であるが、
有益な人を遠ざけ孤独感を常に味わうことになる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
「馬の耳に念仏」とは実に上手く言い表した言葉である。
ありがたい教えも意味が解らない人には雑音でしかない。
思いやりの行為に思いやりの言葉。
気持ちが伝わらなければ互いに無意味な苦痛を味わうだけだ。
教えを請うなら他者の言葉を素直に聴ける耳を持て。
それに応えられる心を鍛えて覚悟を決めろ。
覚悟が無いなら教える側も教えられる側も傷つくだけだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
意識は確実に思考に強い影響を与える。
序列意識に肩書き意識、
性別意識に能力意識。
過剰な意識は確実に判断と行動を狂わせる。
勝者は常に相手に意識させるように誘導し、
敗者は常にその意識によって翻弄させられる。
相手を強く意識した方が確実に立場が弱くなる。
競うまでもなくその時点で既に負けている。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。