極めて特殊な能力を持つ人と出会うことがある。
周囲は勿論本人さえもその能力に気付いていない。
隠れた能力に気付き磨きあげれば有益な人材に育つ。
まさに原石のような人と奇跡の出会いである。
過去多くのビジネス武勇伝はこうして生まれてきた。
歴史は必然の出会いによって創られ語り継がれる。
ただしどんなに自身に優れた能力が備わっていても、
見抜ける人と出会い信頼を得られるかが難関である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
相手より攻撃力が強いはずなのに何故勝てないのだろう?
それは相手の防御力が思った以上に強力だからだ。
相手より防御力が強いはずなのに何故負けるのだろう?
それは相手の攻撃力が思った以上に強力だからだ。
経験値が少ない人は思考視野が狭く常に状況判断を見誤る。
そして自身が誰よりも優れていると思い込んでしまっている。
だから世の中から無意味な争いが絶えない。
自尊心が強い人ほど無謀な争いを自ら仕掛けてしまう。
百戦錬磨の達人は相手が先に仕掛けるように誘導する。
最終局面を観てる冷静な人に戦いを望むべきではない。
仕掛けるなら相手の思考と経験値全てを掌握してからである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
面倒で不都合な事実が起きたら大いに喜ぼうではないか。
何故なら乱れた流れを正常に戻す絶好のタイミングだから。
不都合な事実を輝く未来に一気に変えるチャンス到来である。
何度も経験してきた超短期決戦での事業変革の数々。
その裏には悪しき不都合な事実が多数蠢いていた。
肌感覚が動く瞬間のタイミングを見逃さない。
動くときは俊敏に動き動かないときは微動だもしない。
動きだしたら最終形まで複数同時並行で瞬時に片付ける。
たったの数ヶ月で周辺全ての状況と景色が一変する。
新たな環境には新たなインフラとルールが構築され、
それにマッチした新たな人材が次々と入ってくる。
「終わった過去は引きずらない」のが変革の極意である。
そして変革に「もったいない」思考は一切無用である。
使えるものでも未来に不要なものは断捨離するに限る。
資産に事業に人も例外なく。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
1度でも成功した人は成功の肌感覚を獲得する。
撤退するのか継続させるのかの判断然り。
どの方法を選択すべきかの判断然り。
誰と組むのかの判断然り。
待つのか動くのかのタイミングを計れるのも然り。
何時までに何をどのようにするかという計画できるのも然り。
常にズバリと正しい解を導き出せる。
たった一度でよい、
自分の思ったように行動して成功させることだ。
失敗を何度繰り返しても成功の術は何一つも学べない。
たった1度でもいいから成功させることが肝要である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
電子レンジで洗濯はできない。
冷蔵庫で食べ物を温めることはできない。
それぞれの家電にはそれぞれの正確な使い方がある。
人も同じことだ。
どんなに有益な人と出会えて付き合いが始まっても、
正確な付き合い方をしなければ有効活用はできない。
自分を理解してもらおうとする前に、
先ずはその人を正確に理解しようと努力することだ。
強固な信頼関係を結べない人は、
自分の意思を優先しては相手の気持ちを無視する。
何事にも中途半端なのに細かいことには妙に拘り、
頑として自分のやり方を譲歩しようとしない。
であれば他者依存せずに全てを自ら行うことが懸命である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。