「幸せとお金の間にある符号を無くせ」
この符号とは「=」(イコール)のことである。
幸せとお金を同じ次元で考える人は、
幸せとは無関係の価値世界で生きている。
お金が一銭も無くても毎日美味しいものを食べ、
自身の事業を興し毎日愉しくビジネスしている。
この事実を見たら誰もが信じるしかないだろう。
お金が有れば幸せだという人に限って、
幸せとは程遠い生活を送っている事実は如何なものだろうか。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
解りやすいアマチュアとプロの違いを一つ。
アマチュアは過程を楽しむことに猛進し、
プロは結果を楽しみに日々の努力を怠らない。
アマチュアは嫌いなことを避け好きなことだけに集中し、
プロは嫌いなことを行うことで新しきを学び成長する。
アマチュアは知っている些細事を自慢げに話すが、
プロは熟知している事でも知らない振りをする。
アマチュアは自分を理解してもらおうとするが、
プロは相手を何とか理解しようと尽力する。
その道でお金を貰うプロの姿勢とはこういうことである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
人との出会いの瞬間とは本当に面白い。
更には自分の価値観と180度違う人ほど面白い。
異種思考のすれ違いによる摩擦と衝突。
受け入れるか否かの葛藤の連続。
でも受け入れなければ成長もない。
若い頃は多くの人がある種の偏見を持っている。
狭い思考視野で考え一部の情報を信じるからに他ならない。
出会ったことがない存在が平和な頭を混乱させる。
新しき価値観を認めなければ成長はない。
成長とは新しきカルチャーを受け入れることである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
万物は一時も留まることなく常に変化している。
これを「変易」という。
万物は変化しながらも常に繰り返し継続している。
これを「不易」という。
万物は難しく存在しているようで実は簡単な現象の中に存在している。
これを「簡易」という。
森羅万象は三易思想で見えない事象も見えてくる。
難題にぶち当たったら三易思想で見極めることだ。
「達観する」とは例えて言うとこういうことである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
20歳代男性の4人に1人がデートしたことがないという現代。
酒もタバコもやらずに車にもまったく興味が無い。
友人と飲みにも行かないし仲間との会食もほとんどないという。
それでいて何かに没頭するという道楽事もない。
また引っ越しはタクシーでできるほど私物も少ない。
更に正規雇用で働いているのに貯蓄はゼロに近い。
これを知って大きな疑問が湧いてくる。
稼いだお金をいったいどこに使っているのだろうか?
私の年代では想像すらできない生活スタイルである。
これだけは流石に幾ら考えても答えが出てこない。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。