ライオンの鬣(たてがみ)立て。
クマの仁王立ち。
鳥類の翼を広げる威嚇。
動物の雄は自分を大きく見せる為の本能を持っている。
でも人間にもこれを行う輩がいるのは極めて面白い事実である。
会う人に合わせて服装を変える。
ブランドや貴金属アクセサリーで身を包む。
多種多様の著名人の名刺を持ち歩く。
レンタルしてでも高級外車を乗りまわす。
待ち合わせに分不相応のホテルのカフェを指定する。
意味の無い誇張に惑わされる人もまた同じ種の人間である。
少なくても本物の成功者は自ら一切誇張はしない。
そうでなくても要らぬ人が多数寄ってくるのだから。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
依頼したものを複数の人に一つ一つ詳細に確認させ、
最後に自分が精査して納得するまで判を押さない。
これは慎重なのではなく単に器が小さいだけだ。
器の大きい人は頼んだ事はその人を信用して任せる。
任せた人が完璧だと言うなら完璧なのだ。
後に問題が出たら改めて対処すれば済むことだ。
詳細な確認も悪くはないが、
それ以上に無駄な労働を減らすことを優先すべきである。
日本の一人当たりのGDPが最下位圏にある理由がここにある。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
終わった事をいつまでも考えるのは愚の骨頂。
更にそれを引きずり生きるのは最悪の人生。
自分で決めた事を後悔するのも同じこと。
どうして人は未来だけを見て歩かないのだろう。
未来で過去の過ちはいくらでも修正できるというのに。
目的があるなら前だけを見て粛々と歩くだけだ。
人間の目は前しか見えないようになっているのだから。
天が与えてくれた機能に素直に従うことだ。
そうすれば未来に広がる道を愉しんで歩けるだろう。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
断捨離の極意は不要な物事を安易に排除することではない。
不要な物事を断捨離することで、
悪しき流れを浄化して善き流れを生み出すことにある。
つまり目的は善き流れを作ることにある。
これを理解せずして断捨離を繰り返しても何も生まない。
悪しき流れは自覚のないうちに心身を蝕む。
心身の異常を察知したら悪しき流れの元凶を見極めることだ。
意外にもたった一つの存在によって齎されていることが実に多い。
元凶を排除するだけで自然の流れで断捨離が進む。
無理のない断捨離は極めて善き流れを生み出していく。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
ビジネススキームに技術的ソリューション。
自己年金システムに理想郷の構築。
未来ビジョンを考えるには心の余裕が必須である。
経済問題に人間関係に加えて自身や家族の悩み。
悩みがあるとどうしてもそっちの方に意識が飛び、
マイナス思考で考えるようになってしまう。
こういう状況では前向きに未来を考えることができない。
常に未来を見て明るいビジョンを描ける状況とは、
いろいろな意味で幸福なる状況下においてのみできること。
夢想家だと馬鹿にしたければするがよい、
不満を抱えながら生きている人よりも数万倍も幸福である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。