Xデーは否応無しに必ずやってくる。
どうやっても避けることはできない。
時間軸は一方通行だから。
Xデーをどう迎えるのかはどう行動したかで決まる。
出し惜しみすることなく精一杯やったなら、
どのようなXデーでも堂々と迎えられるはずである。
人生で最良の日なのか最悪の日なのか。
それまでの姿勢と行動の結果で全てが決まる。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
非合法で得たお金を貧しい人に配る人と、
規則だからと貧しい人から無理やりお金を取る人では、
どちらの人が正義なのだろうか?
気が合わないけど沢山の人と気遣いしながらも過ごす人と、
無理せずマイペースに悠々と一人で過ごす人では、
どちらが本当は寂しい人間なのだろうか?
安い借家に住んで資産を沢山持っている人と、
豪華な邸宅に住んで高級外車に乗るも借金だらけの人では、
どちらが本当のお金持ちなのだろうか?
世の中には正しいのか間違っているのか、
思考によって逆転する事象が多々存在している。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
簡単な事を知識を駆使して説明するだけで、
自身では何も創出しようとしない偽りの事業家がいる。
本物の事業家とは極めて難解な事を、
誰にも解る簡単な言葉で説明し、
他に類を見ないものをあっという間に創出する人を言う。
要は言葉ではなく結果が全てである。
言葉や外見で評価する人もまた本物かどうか疑わしい。
本物の事業家であれば結果を一目見るだけで、
自身の経験に基づきすべてを一瞬で完璧に理解できる。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
冬になれば夏の暑さが恋しくなる。
夜になれば太陽のありがたさを改めて知る。
目の前からいなくなって、
初めてその存在の大きさに気づく。
自分の周りに在るものすべての存在に、
「ありがとう!」と感謝することだ。
失う怖さは失ってみないと解らない。
人も物も常に在るのが当たり前だと慢心することなかれ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
夢とはいつかは覚めるのが常である。
人はよく「夢は必ず叶う」と口にする。
人より数倍の努力をすれば実現するのかもしれない。
ただし私欲の塊なら本当の「夢」で終わる。
確かに「夢」は人に勇気を与え、
萎れた心が楽になるかもしれない。
ただ努力を怠った「夢」は必ず「夢」で終わる。
夢を叶えたいのなら夢に向かって努力するしかない。
常日頃から夢に相応しい自分磨きをすることだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。