損得をお金で換算する人は成功しない。
「損して得とれ」の理屈も正確には理解できないだろう。
成功する人の損得思考は常に未来志向である。
信用や保証を得られればお金の損得などはどうでもよい。
事実お金が無くても常に好きな事がやれて、
毎日美味しいものを食べて愉しく生きていけるのだから。
損得をお金で換算する人は成功したことが一度もないのだと思う。
だから何が人生で最も重要なのかも理解できないでいる。
お金は追ったら逃げ自分だけに留めたら死金に変わる。
「お金は生き物」であると考えたら解りやすい。
自由に旅をさせてあげれば仲間を連れて戻ってくる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
多くの人は今の自分の置かれた状況だけを観て、
そして他者の状況と比較し自身の幸福度を考えている。
正直なところ今の状況などどうでもいいことだ。
上昇トレンドに入ればあっという間に借金がゼロになり、
そして債権が増えお金が貯まるようになる。
逆に今が経済的に潤い将来に何の不安もなくても、
下降トレンドに入ればあっという間に経済苦境に陥る。
重要なのは今の状況ではない。
重要なのはどんなトレンドが形成されどの辺にいるかである。
そして常に上昇トレンドを形成するよう努力することである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
世の中には「暗黙の了解」などという見えない力が存在する。
互いの心の内を察せられる者同士が成せる高度な技だ。
だから大型商談のクロージングも一発で決まる。
大規模な事業提携や資本提携も阿吽の呼吸で即決する。
相手が発する言葉の裏にはどんな裏事情が潜んでいるのか。
それが見えれば相手が望むように誘導していくだけでよい。
その後はこちらが望むように相手も共鳴して動いてくれる。
商談・交渉・契約は全てが暗黙の心と心の会話である。
意味の無い飾り言葉に褒め言葉などは不要の世界である。
ただし重要な事項が一つだけある。
それは自身が絶対的なステークスホルダーでなければならないということだ。
誰もが欲しがる技術・特許・商権を持っていなければ成せない技法だ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
繁華街の場末に民家を改造した小さなビストロがある。
メニューは「本日のコース」しかなく料理だけで1万円。
旬の食材を活かした料理で全てがシェフのお任せ。
何度か足を運ぶが同じ料理が出てきたことがない。
飲み物代入れて平均客単価はかなりの額になる。
全席予約制で1か月以上も予約が埋まっている。
こんなビストロをどんな人が経営しているのだろうか。
調べてみたらオーナーシェフは靴製造会社の現役の会長である。
料理好きの道楽で始めたビストロなのだそうだ。
ところで経歴を誇るだけの料理人とは何だろう?
料理は食べてみないと解らない。
そこに食材だの経歴などは無関係である。
単純に美味しいものを気分良く食べたいからそこに行く。
プライドだの拘りだのを出しているうちは三流もよいところである。
結果が出なければ経験も技術も意味のないお飾りに過ぎない。
プロと言うなら現実を直視することだ。
料理に限らず全ての世界のプロに言えることである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
「遠い親戚より近くの他人」
血の繋がりよりも強い絆は確かに存在する。
例え血が繋がっていなくても気持は家族。
ただ自分がそう思っていても相手が望まないかもしれない。
自己利益だけを考えフリを決め込んでいるのかもしれない。
更には「身内」意識に勘違いを起こす人もいる。
「親しき仲にも礼儀有り」
これを忘れているようでは本末転倒の極みである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。