気が向いた時に気軽に行ける場所があって、
どこかに自分を必要とする人がいて、
自分の行いが結果的に社会の為になっている。
こんな隠居後であれば人生成功者だと思う。
この歳になってようやくこの価値が明確に解るようになった。
ビール片手にジャズを愉しみ隠居後のビジョンに馳せる。
老後に悠々自適に過ごせるのは憂いが無いからだ。
この歳になると様々な悟りが日々開いてくる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
法事での長いお経はとてもありがたいものである。
でも終わった途端に強いしびれで動けなくなる。
それでも周囲の誰もが笑顔に変わる。
苦しみからの開放の瞬間は思わず自然な笑顔になる。
「陰極まれば陽極まる」
苦しみが大きいほどその後の愉悦も大きいということだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
未来の具体的な姿を言い表す「将来ビジョン」。
これをしっかり思い描き常に見ている人は本当に強い。
何を行うにも必ず将来ビジョンに照らし合わせて調整できるから。
だから思考と行動計画に無駄とぶれが一切無い。
付き合う人も将来ビジョンに照らし合わせて思考する。
だから誰と組んで誰に就くかで迷うこともない。
そして常に同じ将来ビジョンの人とだけ共に歩むことができる。
結果的に確実にゴールの将来ビジョンに近づいていく。
対して多くの人は一時の願望を将来ビジョンだと思い込んでいる。
だから目先の損得に囚われ常に選択肢を間違える。
意味の無いしなくてもよい経験を何度も繰り返し、
意味の無い人といつまでも腐れ縁的に交流している。
そして将来ビジョンに無関係なことを自己都合だけで優先している。
自身の将来ビジョンを明確に思い描けない人は、
他者の将来ビジョンを聞いても具体的にイメージすることができない。
結局のところが人生そのものが他者依存による受け身人生となる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
最近不思議な事が頻繁に起こる。
欲しかったものが自然に手に入るようになった。
それも何もせずして自分のところに回ってくるのである。
追い求めていたときには気配さえ感じなかったものでも。
欲しいものができたら強く願って回ってくるまでじっと待つ。
回ってきたら躊躇せずに何が何でも得ることを最優先する。
欲しいものを確実に手に入れるための鉄則である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
損得をお金で換算する人は成功しない。
「損して得とれ」の理屈も正確には理解できないだろう。
成功する人の損得思考は常に未来志向である。
信用や保証を得られればお金の損得などはどうでもよい。
事実お金が無くても常に好きな事がやれて、
毎日美味しいものを食べて愉しく生きていけるのだから。
損得をお金で換算する人は成功したことが一度もないのだと思う。
だから何が人生で最も重要なのかも理解できないでいる。
お金は追ったら逃げ自分だけに留めたら死金に変わる。
「お金は生き物」であると考えたら解りやすい。
自由に旅をさせてあげれば仲間を連れて戻ってくる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。