朗報は窮地の中に忽然と天から舞い降りる。
悲報は歓喜の中に音も立てずに忍び寄る。
どんなときも明暗は対立して存在せず、
明暗両立で常に背中合わせで同居している。
ちょっとしたバランスの乱れで、
明暗どちらかが一時的に表面に現れるだけだ。
賢者はこれを熟知して大局を見誤らず。
遇者は常に局所を見ては大局を見誤る。
如何なる事も重要なのは大局観である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
もしも強く意識する人がいるなら、
どんなに頑張ろうがその人を超えることは絶対にできない。
拒絶であろうがライバル心であろうが、
意識していることには変わりはない。
頂点を極める者は他者を意識することを決してしない。
他者を意識しているうちは、
絶対に勝者になれないことを知っているから。
対象が人であれ企業であれ国であれ、
他者を意識している時点で既に負けが確定している。
他者意識とは敗者の確たる証でもある。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
例え花を咲かせる植物に生まれても、
蕾を付ける季節に、
蕾が育たなければ花を咲かせることはできない。
タイミングと判断を間違えれば、
素晴らしい素質を持っていても花を咲かせることはできない。
人もまた同様に自然の摂理に従い生きるべきだと思う。
自分の意思を優先する以上に世の流れを意識して把握することだ。
世の流れに自然に乗れば持てる能力を開放するタイミングが見える。
成功者は絶好のタイミングを逃さず動いている。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
豪雨転じて晴天。
雨上がりの空はこの世で最も美しい。
現世とは思えない景色を表す。
清々しくもあり神秘的でもある。
人生の転機もまた同様である。
このすばらしい景色を見たいがために、
ストイックなまでに自身を追い込み、
そして限界をも突っ切り踏ん張れる。
晴天の喜びに沸く仲間の歓喜が、
心地よい空間に響き渡る。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
道が変われば景色が変わる。
景色が変われば思考が変わる。
思考が変われば人間が変わる。
道が変われば出会う人が変わる。
出会う人が変われば学びが変わる。
学びが変われば人生が変わる。
道が変われば全てが変わる。
どの道を選ぶのかは他ならぬ自分。
今の自分は自身が選んだ道を進んでいるに過ぎない。
満足していないのであれば、
躊躇せずに道を変えれば済む話である。
ただし引き返すことはできない。
例え元の道に戻っても既に以前の道ではない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。