1リットルの0度の水と1リットルの100度の水を合わせると、
2リットルの50度の水ができることは誰でも解ること。
では0度の水を0度の氷に変えたらどうなるか?
これを実際にやってみると2リットルの20度の水になる。
氷が解ける際に多くのエネルギーが消費されるからだ。
これを物理学の世界ではエネルギー不変の法則という。
水は凍るときにエネルギーを放射し液体から固体に変わる。
溶けるときにはエネルギーを消費し固体から液体に変わる。
人間関係も同様に机上の空論だけでは把握できない事実が多々起こる。
人間の行動には予測不能な多くのパラドックスが潜んでいるからだ。
このパラドックスを事前に把握できるか否かで結果が大きく変わってくる。
どこで誰と繋がり関連することで現在の状況が形成されているのか。
これを無意識に思考できるようにならなくては、
人間関係も人生設計も机上の空論であり儚い夢で終わる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
人間関係の問題に経済問題。
如何なる場合も潔い即断と施策が肝要である。
素早い判断と行動がどんな場合にも憂いを無くすことに繋がる。
勿論のこと施策と同時に別の問題も発生するが、
行動が遅れた場合と比較すれば大した問題でもない。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
他者の考えていることが解らなくて当たり前。
何故なら同じ視野で景色を見ていないからである。
山の麓にいて頂上の景色をいくら思考しても、
それは想像でしかなく本当の景色は解らないのと同じこと。
山の頂上からの絶景を見たいのなら、
先ずは何としても頂上まで登りつめることだ。
同様にその人の考えていることを真に理解したいのなら、
何としてもその人と同じステージに上がることだ。
意図する人の考えていることを真に理解したいのなら、
その人と同じ視野で同じ景色を眺め思考することが必須条件だ。
そこではじめてその人の眺めている景色の全容が理解できる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
「自分の周囲に経済循環を起こせ」の本当の意味は、
「未来の自分へ今有るお金を先送りしろ」ということだ。
真の経済循環の意味を理解できないと、
他者に自ら先に与えることを覚えない。
だから未来において他者からお金が回ってくることもない。
他者に与えたお金がたっぷり利子を含んで、
各方面から未来の自分に戻ってくる。
極めてシンプルなエネルギー不変法則そのものである。
ただし無関係の人にお金を使っても循環することはない。
それは単なる消費でありエネルギーロスに終わる。
循環と消費はまったく別次元に存在するお金の法則である。
他者に自ら先にお金を回さないのは、
経済を回すという思考を持ちあわせていないから。
だから他者も同じように回さないと思い込んでいる。
経済循環を起こす人だけが未来に大きな資産を得る。
これも極めてシンプルなお金の法則である。
経済循環を意識する人は今のお金を見ていない。
だから手元にお金が無いからと不安になることもない。
何故なら現金が無くても毎日美味しい物が食べられて、
毎日愉しい事を思う存分に出来ているのだから。
その原資は先に回したお金の恩恵によるものである。
この事実は誰も疑いようもない最大の事実であり根拠である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
アトピーや花粉症などのアレルギー反応は、
体内免疫機能が正常な証拠。
辛い気圧変動による季節片頭痛は、
循環器と血管が正常な証拠。
気分屋と呼ばれる喜怒哀楽の激しさは、
脳内ホルモンの分泌機能が正常な証拠。
テカテカして嫌だという脂性肌は、
ウイルスや細菌などへの肌バリア機能が正常な証拠。
物事全てが陰陽一体で表面化しているに過ぎない。
陰陽どちらを観るかで優劣と価値観がいつでも逆転する。
陰を意識したら裏に在る陽の存在に感謝することだ。
それが常に精神的に他者よりも優位に立てる人なのである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。