新型コロナウイルスパンデミックが真に人類に齎したもの。
打ち合わせも商談も今ではリモートが主流。
最初は違和感があった風景が今では当たり前のようになった。
変化を頑なに拒んできた者もこれに順応するしかない。
これも一つの進化であり新たな文化の台頭である。
新たな文化に順応できない者は淘汰されるだけである。
次世代デジタルデバイド時代の到来。
こんな形で10年前倒しで実現するとは誰が予測できただろうか。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
フリを繰り出す古狸。
全てを解ったうえでの気付かぬフリ。
熟知してることは知らぬフリ。
ストレスを感じれば寝たフリ。
相手の真意と信頼を見極める酔ったフリ。
余裕有るなかでの余裕無いフリ。
持っていても持っていないフリ。
百戦錬磨の古狸はフリを繰り出し真意を確かめる。
フリに振り回されているうちは信頼されていない証拠。
信頼している人にフリを繰り出す必要もないだろうから。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
右効きの人は普段左腕を強く意識することはない。
でも五十肩になった時は強く意識するようになる。
五十肩とはよくできたもので、
左右でタイミングをずらして痛みのピークが現れる。
通常それぞれの傷みは約1年で自然に収まる。
右利きの人は右腕が使えない方が不便だと考える。
不思議なことに実際は左腕が使えないことに不便を感じる。
左腕とは意外にも無意識に各所で使っていることに気付く。
普段意識しない方が失ったときには強く意識するようだ。
これは人や物に対しても同じでなのではないだろうか。
「いつまでも在ると思うな親と金」
本当に鋭いことを的確に言い表した格言だと思う。
「親」とは人の縁や支援を「金」とは財産や経済基盤を指している。
これらを全て失ったときに一人で生きていけるだろうか?
「本来大切にすべきものを忘れていないか」という教えである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
持病で思うように動けない日から突如寛解し楽になる。
悩ましい我慢の日から愉しい毎日に変わる。
苦しい借金地獄から開放されお金が貯まるようになる。
人生には必ず好転へのターニングポイントが存在している。
重要なのはそれを信じてじっと天の時を待てるか否かである。
待っている間は決して流れを変えてはならない。
流れを変えた瞬間に全てが最初からやり直しとなる。
成功しない人は我慢できずに常にリセットしてしまう。
だから人生の好転機を無駄にしては同じことを繰り返す。
妙な拘りを持って生きている人が陥る「生き方パラドックス」がこれだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
世界規模で起こるウイルスパンデミック。
この後に必ず起こる社会現象が存在している。
それは新たなる秩序の台頭という社会現象である。
これまでの勝者が敗者になり敗者が勝者に入れ替わる。
持たざるリスクから持つリスクが表面化し、
自律した個の確立時代へと急速に移行していく。
働き方改革にテレワークの融合。
教育システムの大改革。
捺印文化からデジタル署名文化へ移行。
バーチャルギルドや小規模村が無数に発祥。
人間に変わりAIやヒューマノイドが社会進出。
そして人手不足から人余り現象へシフト。
世界規模でパワーバランスが崩れ勢力マップが塗り替わる。
これまでの価値観が大きく塗り変わる瞬間である。
この流れを正確に読んで順応できるか否か。
この差が雲泥の差となって数年後に表面化する。
1918年のスペイン風邪(H1N1インフルエンザ)は、
第一次世界大戦中での発祥により1億人の死者を出した。
その後世界のパワーバランスが崩れ第二次世界大戦が勃発した。
更に第二次世界大戦終結後に新たな秩序や文化が台頭した。
現在の状況は100年前と極めて酷似している。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。