行動することだけが利益に繋がるわけではない。
行動しないことでの利益も多々あることを学ぶことだ。
これを実行できる者が成功しできない者は失敗する。
「思い立ったが吉日」
だから常に上手くいかないのだ。
思い立ったら「天の時を待つ」ことを覚えることだ。
「待つ利益」を考える者が賢者であり成功を収める。
もっとも天の時が今なら待つことも躊躇う必要もないが。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
もう何度も何度も経験してきた。
晴天の合間の激しいゲリラ豪雨。
嵐の後の清々しい程の眩しい陽光。
「人間万時塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」
善きことの裏には悪しきことが、
悪しきことの裏には善きことが潜んでいるという例え。
本当に世の中一寸先は何が起こるか解らない。
ゴールまで一瞬たりとも気を抜いたらお終いだ。
「人間万時塞翁が馬」
私の中で常に意識し活きている教えである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
ある種のアイデアを基にアドバイスを求める人がいる。
他者にアドバイスを求めることは構わない。
でも自分からは一切行動を起こさないのは何故だろう。
他者に話す前に自分でとっととやればいいと思う。
世の中行動してから口に出す人が信頼される。
ビジネスは姿勢と結果だけが信用の根拠なのである。
口先だけで行動しない人は自信と覚悟が無い。
だから共感し経済支援してくれる人を探し求めることに始終する。
一人では不安で何も出来ないから。
他者のノウハウと資金をあてにしては妄想の中で生きている。
他者を頼るうちは被害者を増やしただけで終わるのが常。
押し並べて「口先人間」は他者に不利益を齎しても、
利益を齎す人ではないことだけは確かだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
女性は守りに入ると完璧に防御し更に強くなる。
そして闘争本能が向上し平和を乱す者の排除に燃える。
対して男は守りに入ると哀れなほどに弱くなる。
守ることに必死で相手にやられ放題にやられてしまう。
男の最大の守りは防御することではなく、
攻撃してくる相手を全力で打ち倒すことにある。
更に攻撃への反撃は腕力のみに非ず。
知力・財力・組織力など全てが戦うための武器である。
守る男に自身もそして大切な人を守れない。
戦う男は守るべき人も財産も全てを守れる。
守りに入った男ほど惨めで情けない姿は他にない。
守りに入った瞬間に多くの隙ができる、
相手はその隙を狙ってあの手この手で攻めてくる。
何故なら相手にも守るべき人や財産の存在があるからだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
対等な信頼関係とは、
自身の望むことと相手の望むことを相互に担保することにある。
自身の望みばかりを要求し相手の望みは肩透かし。
これでは信頼関係を築けないばかりか、
突然のように縁を切られても文句の一つも言えないだろう。
相手の望みが受け入れられないのであれば、
最初から自身の望みを要求すべきではない。
それは利己主義の極みというものである。
他者から与えられるだけの人生など有り得ない。
どこかで必ず与えられた以上のものを失うことになる。
自身が望む目標達成には、
先ずは支援者の要求を受け入れる覚悟が必須である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。