30歳から毎年受診している人間ドック。
ここ数年は過去最高の結果を継続しており自分でも驚く。
肝機能も腎機能も血液も異常無し。
更には循環機能も癌マーカー値も異常無し。
この裏にはしっかりとした根拠がある。
食事の内容を大幅に改善した結果である。
野菜嫌いだった私が毎日300g以上を摂り、
たんぱく質と食物繊維を中心にでんぷん類の摂取を控える。
たったこれだけである。
酒も毎日飲みタバコの本数も減らしていない。
チョコレートなどの菓子類も毎日食べている。
「頭脳労働者はおにぎり1個よりもチョコレート1枚」
人間ドックでカウンセリングを受けた栄養士の言葉である。
同じ糖質でも身体の中での働きがまったく異なるという。
職業によって身体の使われる部位が違うということだ。
つまり労働形態に合わせた栄養補給が肝要なのである。
そして好きな物を好きな時に好きなだけ食べる。
1年で自然に体重が減りメタボ予備群から脱出できた。
コレステロール値や尿酸値も正常値に落ち着いた。
「健康は食事から」
身をもって実行したら本当だったという話しである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
従心期になりようやく物事の本質が理解できるようになった。
例えば「正義」は曖昧なものであり流動的に変化するものである。
戦争状況下では敵を多く殺したものが英雄として讃えられるが、
平和な時代ではただの大量虐殺者である。
「正義」とはいったい何なのであろうか。
孔子の「人として正しい道を歩め」という「義」の教え、
時代背景と使う人によっては意味が180度変わることになる。
ローカルな価値観はグローバル時代には通用しない。
ある人にとっては正しいことが、
ある人にとっては正しくないことは多々存在している。
「正義」の流動性は固執することで立場を危うくすることもある。
価値が揺れ動く時代には「正義」の価値観も激しく揺れ動き、
それぞれの人に無限に存在しているものである。
「正義」とは固定概念ではなく流動的なものとして意識することだ。
そして個々人に合わせたそれぞれの正義が存在している。
これだけを頭に入れておけば、
意味の無いストレスを貯めることもなく、
不要なトラブルに見舞われることもないだろう。
平和に暮らしたければ自分の正義を振りかざすべきでない。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
学びの本質は真似ることから始まる。
「学びの語源は真似る」だという説もある。
大いに他者を真似て学ぶがよい。
ただし熟考してほしいことがある。
それは他者を真似ているうちは未熟だということだ。
未熟故に他者の良いと思った所を無意識に真似てしまう。
これが未熟者の深層心理であり根拠でもある。
逆に他者に真似されるようになってはじめて成功者と言える。
他者に真似されたら大いに喜べばよい。
自分のやっていることが正しいと認められた瞬間なのだから。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
どんなものでも貯め込んでしまう人がいる。
行うべき債務も後回しにしては貯め込んでいる。
逆にお金だけは貯めることができないようだ。
その理由は極めて明確である。
捨てるべきものを捨てるべきときに捨てないから。
行うべきことを行うべきときに行わないから。
流石にお金も山と積まれた債務を見たら一目散に退散するだろう。
そして何でも貯め込む人は負のエネルギーまでも貯め込んでしまう。
これでは何もかもが上手くいくはずはない。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
昨今不要になった法人をどんどん解散している。
祖業法人の解散決意は流石に周囲も驚いた。
更にはメイン事業法人の代表交代を進めている。
この裏にあるのは隠居の準備に他ならない。
同じ行為なら枠外でサポートするのが気楽でいい。
いろいろな意味で拘束されずに自由奔放にやれるから。
若いときから格式やルールという枠が大嫌いだった。
報酬を貰えば義務と責任が生まれ束縛される。
これらは隠居する身には重荷になるだけだ。
起業する前は独自の事業など何も持っていなかった。
隠居の時も収益事業を何も持たないのが心地良い。
日々淡々と道楽ビジネスに明け暮れて、
残りの余生を思う存分に愉しむのが理想郷というものだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。