金融免許を取ると銀行はお金を貸してくれない。
だったら逆に資金を用意して貸金業をやればよい。
事業清算でまだ使える什器類を大量に廃棄しなくてはならない。
だったら古物商の免許を取得して販売すればよい。
大規模サイトを構築したが運用する予算が捻出できない。
だったらサイトごと事業譲渡して他社に任せればよい。
極めつけの特許が取れたが事業化する資金が無い。
だったら大企業との共同事業にすればよい。
飲食店の多店舗効率化を考えるも人材がいない。
だったらフランチャイザーになってオーナー募集すればよい。
現状計画で不都合な事実が発生したら、
逆転の発想で不都合な事実を都合よい事実に置換し、
現状以上に利益を上げる策を編み出すのが成功者思考だ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
何だろうね?
僅かな手数料を惜しんでは時間を無駄にする人って。
何だろうね?
僅かな自尊心を頑なに死守しては信用を失う人って。
何だろうね?
僅かな気遣いもできずにチャンスを逃す人って。
何だろうね?
僅かな幸福感を大事にしては夢を諦める人って。
結局上手くいかない人は僅かなことに拘り、
僅かなものを大事にしては本命を逃している。
思考視野が極めて狭く思考距離が極めて短い。
だからどうしても独り善がりな今この瞬間の損得だけで思考する。
全てにおいて「局所に拘り大局を観ず」とはこういうことだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
ダビンチの絵にX線を当てても何も映らない。
それは油で薄く伸ばした絵具を何度も塗り込むから。
だから筆の跡が一切残らず平坦になり透明感が出る。
1回ずつ乾かしながら塗るので完成に1年以上かかる。
残された絵画の数から計算すると、
複数の絵を同時並行で書き進めていたことが解る。
天才とは技法に加えて手法さえも編み出していく。
ただ絵が上手いだけの人なら5万といる。
人を魅了するのは絵の上手さだけではない。
他者には真似できない神技を実現させるから。
だからダビンチは肌の透明感を描く天才として絶賛された。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
還暦過ぎての食欲とアルコール摂取量は半端ではない。
天は意味の無い事は与えない、
そう信じて思うがままに心身を満たす日々。
毎日美味しいものをたらふく食べて、
美味しいお酒もたっぷり飲んでも元気に過ごせている。
これ以上の何を望むべくもない。
ただ不思議なことに体重は増減することもなく一定である。
人間ドックの結果もこの数年間はすこぶる良好である。
成人病検診と癌検診も合わせて毎年欠かさず受けているが、
何一つ異常も無く健康体そのものである。
還暦過ぎて確実に身体細胞が変化しているのを自覚する。
隠居生活に合わせるように細胞が進化しているのかもしれない。
そう思うようにして日々マイペースに愉しんでいる昨今。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
情緒豊かな生徒は人間味ある先生が好き。
目標達成に燃える生徒は真面目に教える先生が好き。
将来の目標も無くその日暮らしの生徒は、
面白おかしく冗談ばかり言う先生が好き。
自分がどんな先生が好きかで自身の理想の生き方が解る。
子供の頃は素直に大人を評価している。
そして大人になっても子供の頃の基本思考は変わることはない。
ほぼ例外なく8歳で基本思考が確立し13歳で固定化するらしい。
ところで自分はどんなメンターを欲しているのだろうか。
欲するメンターは自身の基本思考に司る理想の生き様そのものであり、
理想の姿や成れの果ての姿でもある。
誰を真にリスペクトしているかで、
未来の姿が決定されると言っても過言ではない。
ただし上手くいってもメンターの生き様を引き継ぐだけで、
メンターを越える人生を歩めることはない。
つまりメンターを欲している時点で他者依存の極みということだ。
だからこそ自身の理想郷を創出したいと真に思うのであれば、
他者に頼るのではなく全てを自身の感性と努力だけで行うことだ。
他者を頼らず他者に迷惑もかけない自由奔放な生き方をする人が、
後々他者からメンターと慕われる人になる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。