男の道楽とは実に非生産的な存在である。
馬鹿かと思うほどの時間とお金を浪費して、
達成感に愉悦しては納得して終わりなのだから。
現実思考の女性にはおそらく理解できない行為である。
ただこの非生産的で無利益な行動によって、
明日の生産的エネルギーを得ているとしたらどうだろう。
そう考えると男の道楽は極めて生産的な余裕行動に変わる。
道楽とは当然にあらゆる意味での余裕があるからこそできること。
経済的余裕に加えて精神的余裕が不可欠である。
道楽が愉しめる状況は押し並べて幸福だということだ。
ただし現実逃避の手段としての男の道楽は愚の骨頂。
それこそ非生産行為の極みであり道楽を行う資格は無い。
良好なる人間関係の中でビジネスがスムースに回り、
余裕ある生活の中で初めて道楽は道楽として在り続ける。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
災害や社会現象は全ての人に平等に齎される。
その中で上手く軌道修正できる者もいれば、
軌道修正できずに淘汰される者もいる。
頑なさは平時には有益に作用するが、
有事には何の意味も成さずに邪魔になるだけである。
変化をチャンスと捉えた者だけが進化を遂げる。
いつの時代もどんな対象でも、
変化をチャンスと捉え軌道修正できた者だけが勝者となる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
アゲインストの風とは逆風のこと。
こんなときは進もうにも進めないし、
無理して進めば体力を消耗し大怪我を負うことになる。
ここで冷静に考えてみよう。
逆風とは進む方向と風の方向が逆だということだ。
同じ方向に進めばフォローの風である順風となる。
何もせずしてどんどん前に進めるようになる。
要は正しい流れに乗れば順風の風になるということだ。
逆風を感じたら瞬時に方向転換するだけでよい。
簡単な風向きの原理原則である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
善き流れが周囲に起きてくると正しい方向へ物事も流れる。
一番気にしなくてはならないことがこの気の流れの意識である。
善き流れは過去の経験から意図的に作り出すことができる。
マイナス思考の人を身の周りに置かないこと。
善き流れを遮る人を遠ざけること。
自己利益優先の人とは関らないこと。
不必要な物はどんどん捨てること。
やるべきことを先延ばしにしないこと。
厄介なことから逃げずに真摯に向き合うこと。
善き流れを手に入れれば全てが上手くいくのは必然である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
過程においては一見バラバラな施策だが、
ある時点の結果を観ればたった一つにまとまってくる。
全てゴールを目指して緻密に計算された施策であったことが理解できる。
これが最初から完璧に計画されたパーフェクト戦略というもの。
経営において過程など一切評価しても意味が無い。
過程を評価しても何の価値も見出すことができないからだ。
過程において誰に何と思われようが意識しないことだ。
経営とは最終的な結果においてのみ評価されるものである。
刹那の動きに惑わされ翻弄されないことだ。
あくまでもゴールだけを正確に見定めて粛々と推進させるのみ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。