文章や他者の話しの内容を正確に理解し、
考えた事を正確に文章化できる能力とされるリテラシー。
調査によると日本人の30%以上が欠如しているという。
でも世界的にみると日本人は優秀なのだそうだ。
トラブルの多くがリテラシーの欠如から起こる。
相手の意思や気持が理解できないから。
自分の気持ちや考えを正確に伝えられないから。
かといってそれで責任を回避できるわけでもない。
自身のリテラシー欠如を何かによって気付いたなら、
その個性を受け入れ自身と真摯に向き合い、
不必要に第三者との関りを持たないように生きることだ。
それなら自身も周囲も平和を維持できるのだろう。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
何かを始めようとするときの動機。
この動機に美学などは一切存在しない。
つまり動機が不純であろうが何ら問題はない。
重要なのは始める覚悟とその後の行動だけである。
動機が例え立派でも動かなければ何も始まらない。
思い通りに物事を動かすのは自身の行動だけだ。
綺麗な言葉を並べたてたところで誰も信用しない。
人の心が動くのは姿勢と結果を確認してからである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
他者に知られたくない事実や見せたくないもの。
これを隠し通すには大きなエネルギーを消費する。
このエネルギー損失は極めて大きい。
ビジネスもプライベートも隠し事は作らないことだ。
明るみに出ることでマイナスに作用すると考えるのは、
自分自身のプライドや拘りの問題だけである。
それが明るみになったからといって、
周囲の人は何事も無かったかのように受け流すだろう。
憂いの無い人生を送りたいのであれば、
隠したい事実を隠そうとしないことである。
意味の無いエネルギーをもっと有益な事に使うべきだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
不動産投資で大損してしまった、
でも友人は株式投資でもっと損しているからましか。
新事業が上手くいって僅かだけど利益が出た、
でも友人の企業はM&Aで莫大な利益を出して悔しい。
このように他者比較とは実に哀れな心情を引き起こす。
損失は損失であり利益はあくまでも利益である。
他者比較行為は冷静な自己分析を誤らせる。
今の状況を冷静に把握するなら比較対象は自分自身である。
5年前に比べて今はどうだ、
1年前の状況と何が違う。
成長しているのか否か、
幸福なのか不幸なのか。
常に過去の自分と比較して現状を絶対値で冷静に把握することだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
聞かれもしないのに先に話す「予防線」という心理。
予防線を張ると相手はそれを強く意識するようになる。
つまり思惑とは裏腹に逆効果になるということだ。
もしも他者に意識してほしくない事実があるのであれば、
それをあえて口にしないで秘密にしておくことだ。
若さとはある意味では正直でいいところもあるが、
こういうところで若さを披露していては成功は遠のくだけだ。
安く見られたくないという心理が逆に株を下げることになる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。