家中の家電が同時期に次々と壊れていく。
親しかった人が次々と引っ越しして会えなくなる。
慶弔見舞での出金が続き懐が寂しくなる。
同じ日に複数のイベントの誘いが入る。
これら全てが普遍性の法則通りである。
つまり極普通のタイミングの共鳴ということだ。
共鳴時期が過ぎれば重なることもなくなる。
これも普遍性の法則で説明できる極自然な事象である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
もったいないから今は着ない。
もったいないから後日食べる。
これが一番もったいないのである。
旬なものは今が一番見栄えがするのである。
旬なものは今が一番美味しいのである。
古くなればダサくなるだけだ。
古くなれば不味くなるだけだ。
旬を無視した行為が一番もったいないことだと思う。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
気を失うほどの激辛トウガラシをいただく。
怒りが込み上げ全身から汗が吹き出し滴り落ちる。
でも激痛が過ぎると怒りが感謝に変わる。
「なんて幸せなんだ・・・」
嫌なこともすっかり忘れてみんなで笑い転げる。
ストレスはストレスで治すに限る。
つまり「毒は毒で制する」の精神論版である。
この理論が正しいことが一瞬で解る瞬間でもある。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
自動販売機のコーヒー。
何故寒い季節はホットで暑い季節はアイスなのだろう。
冬でもアイスコーヒーが飲みたいときもあるし、
夏でもホットコーヒーが飲みたいときもあるのに。
同じように飲食店。
私は冬でも冷麺や冷スパが無性に食べたいときがある。
多数意見や季節感での常識に流されず、
少数意見のニーズを満たしたサービスがあってもいいと思う。
そういう発想こそが顧客第一主義というものじゃないのだろうか。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
ばっさり切れて血が滴る傷口が、
30秒後には血が止まり30分後には塞がっている。
40度近い高熱で完全に動けなくなったのに、
たった1時間の仮眠で元気な姿に戻っている。
消化器官が4つも無いのに、
一度にビールを3リットル以上飲んでも二日酔いにならない。
肩と腕の痛みでまったく力が入らない五十肩を患っても、
いざという時には30Kgのアンプを軽々と持ち上げる。
摘まんだだけでビール瓶の栓が潰れリンゴに穴が空く。
同時に複数の人の話しを聞き分け、
複数の事を並行処理であっという間にこなす。
一瞬見た数列と文章は何時まで経っても記憶し、
数社の決算書の内容をいつでも正確に答えることができる。
誰しも信じがたい事実を目の当たりにしたら信じるしかない。
目の前に繰り広げられる事実は最大の根拠である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。