「天の与うるを取らざれば、悔ゆとも追うべからず」
「先生伝」に記された、ご存知三国志で有名な劉備のこの一言。
劉備は、三国志の幕開けともなる「黄巾の乱」での活躍によって役職を得ることになります。
しかし、そのすぐ後に反乱軍に破れ転々と知人の世話になりながらも何とか落ち延びます。
その頃、陶謙は度重なる曹操軍の侵攻に手を焼いており、これを脇から助けたのが劉備でした。
そして、劉備は陶謙の推薦を得て予州の長官となり、再び本拠地を与えられることになります。
人生というもの、良い時もあれば悪いときもあります、「例えどんなに苦しい状況でも悔やむのではなく天の与えし試練を受け入れる」ことが肝要です、素直に受け入れさえすれば次のチャンスもまた与えられるのです。
「身の回りに起こる事は全てが自分の起こした行動という原因あっての結果である」
ならば、そのときにそれを素直に受け入れることが自身の最低限の責任を果たすことです。
自分に不都合な事象を人のせいや世の中のせいにしていては、何時まで経っても大事を成せるわけがありません。
天が与えし試練は一つのチャンスでもあるのです、それを受け入れられないのは自分が未熟である証拠なのです。
「天は試練を受け入れる準備と覚悟のある者に最高の褒美を与える」
成功する人は過去を引きずりません、チャンスを逃しません、決断したら即実行する潔さが成功の秘訣だということを知っています。
「治世の能臣、乱世の姦雄」
何処にも属さず、一匹狼から天下を取った曹操の有名な一言です。
「平和な時には有能なる参謀に徹するが乱世の時には暴君ともなろう」、曹操は三国志中でも高名にして優れた武将で残した名言もまた数多くあります。
曹操はまた孫子兵法をこよなく愛し、自らその孫子兵法の用法注意書なるものまで作成したほどです。
中でも孫子兵法の基本中の基本である「彼(敵)を知り己を知れば百戦して危うからず」の教えを忠実に実行し、その知恵と知識をフルに活用して自国に平和をもたらしたことは各書に残されています。
近年では1人で起業し、たった10年ほどで上場を果たしてしまうベンチャー企業も珍しくはありません。
しかし、それまでの道程は上場後のその企業や経営者の印象とはずいぶんと異なるものです。
経営者とは時に正攻法に拘ってはいられないこともあります、勝ち残るためには綺麗事ばかりを言ってはいられないのです、それが現実であり成功している企業の事実なのです。
そこまでして勝ち残りも組織を大きくもしたくないと思うのであれば、自分の納得することだけを気の合う人と細々と行えばよいのです。
成功したいのであれば、それがどんな最終形であれ何が自分の目的なのか理想なのかを見失うことなく全うすることが肝要です。
何が何でも夢を実現させたいと思うのであれば、それこそ常にギリギリの選択をしプライドをかなぐり捨てて日々邁進するしかありません。
普通に楽しいことだけをやっていては理想郷の実現などは夢のまた夢で終わります、その事実もしっかりと受け止めるべきことです。
少なくても「言う事だけは一流、やってることは凡人」、これは最たる遇の骨頂というものです。
「目で見るを見(けん)と言い、心で見るを観(かん)と言う」
柳生新陰流の地位を確立した柳生宗矩は、剣術家にして戦略家としても名を馳せます。
徳川幕府で最初の大目付役になった剣術家であり、後に政治にも参加し一族から将軍を擁立するまでになります。
宗矩のこの言葉は、兵法を学ぶ者に実に相応しい言葉です。
兵法三十六計に「無中生有」という計が有り、「無いと思えば有る、有ると思えば無い、しかし実際にいざと言うとき有ればそれは真実となる」というものです。
つまりは、「見えるものだけを見て判断するなかれ、心の目で観て思考し真実を見つけることが肝要である」と言うことです。
多くの失敗は、目で見える物だけを見て追っているから、表面的な細かなことに囚われて物事の根幹を見落としてしまうのです。
今、自分に本当に大事な人は誰なのか、小さな私事を大事にして自身の成功にとって本当に重要な人を粗末にしていないでしょうか?
何故、その人は自分に声をかけてくれたのだろうか?
人は意味も理由も無い事はしないものです、そこには必ず意味が有るのです。
正しきを得るためにはその人の言葉や行動を見て判断するのではなく、目に見えない起きている事実だけを心で感じて判断することです。
他者への疑いは自分が信じられないから他者も信じられない、これが「心の鏡」という代物です。
見えないところに真実が有り、その真実を見極められる人が成功者となれるのです。
「何故、あの人なの?」
「何故、今ではないの?」
その疑問の解はその人が観ているのは今ではなく、5年後10年後の姿とビジョンを観ているからに他なりません。
「天下最も多きは人也、最も少なきも人也」
戦国の世に「黒田官兵衛」として、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と三大武将に仕えた戦国武将一の智将と称された黒田考高の、天下一の智将らしいこの一言、何とも言えない深いものがあります。
「天下に人は沢山いるが、これはという有能な人材は実に少ない」
現在も「人は余るほどいるが、逸材は足りない」とよく言われます。
経営・財務・法務・営業・技術・企画、その道のプロを如何に確保するか、これは大小に関係なく企業の永遠のテーマでもあります。
「城は人なり」、現在で言えば「企業は人なり」、たった一人の人材によって企業体質が一変する事はよくあることです。
成功する人は自分一人で無理して頑張らない、自分に無いものは素直に他者に頼る事を忘れない、その道のプロが行うのは最も確実且つ最もリスクが少ない事を知っているから。
その空いた時間を事業推進に向けた方が、結果的にコストはかかってもそれを上回る利益が齎されることになるのです。
そしてこの方法が、最も好結果を出すのが事業推進スピードと事業精度です。
つまり、「事業推進に係る費用は時間と正確性を買っている」、こういうサンクコスト思考ができる人が成功者になれるのです。
上手くいってない人ほどなんでも自分でやろうとします、だから余計な事に時間を割かれては有益な事がおろそかになる、経済循環も起こることもないしパートナーを得ることもなく、結果上手くいかないのです。
「争いは欲より起こるもの。 欲を捨て義を守るなら不和などは起こりませぬ」
毛利元就の三男であり、天下分け目の際に君臨した小早川隆景のこの一言。
毛利元就は3人の息子をそれぞれ一城の主に成長させました、そしてこの兄弟の絆がその後の大きな毛利家発展に繋がりました。
隆景は小早川家に養子に出されて、その後小早川、次男の吉川と合わせ「毛利に2つの大きな河有り」と隣国武将に言わしめさせたのです。
平穏な当たり前の暮らしにこそ、確実なる生長と幸福がもたらされます。
儲けたい、生長させたいという欲が有れば志が野心と化します。
野心を持っては、生長と幸福という成功は何時まで経っても得られることはありません。
そこに有るのは、争いの山(醜い人間関係)となります。
真のライバルとは互いに義を守り切磋琢磨するものです、そこには互いの成長と成功が約束されます。
1980年代、多くの新鋭ITベンチャーがそうして互いに成長しIT業界を形成させました、その後多くの上場企業を輩出させていきました。
成功者は決して争う事をしません、共存共栄にこそ互いの繁栄が約束されるのです。