「今の人は幸福と快楽の区別を知らない、快楽を得ることを幸福だと思っている」
文化勲章・栄誉都民などを受賞している小説家、武者小路実篤の金言とも言えるこの一言。
彼は小説を書く一方で、争いのない調和した社会を理想とした「新しき村」(個人資産による自治体)を宮崎県に作り村民を公募しました。
その後ダム建設により「新しき村」は埼玉県に移りますが、現在でも13名の村民が暮らしています。
「現実離れした理想主義者」などと当時は酷評されましたが、そんな言葉には耳も貸さず、90歳にしてこの世を去るまで自分の理想をあくまでも追求し続けました。
他人に迷惑さえかけなければ自身の理想を追求し形として残すことは尊ぶべきことです、それが本当に実現させるということはなんて幸福なことなのでしょうか。
普通の人ではとうてい無理な話でしょう、もしも酷評する人がいるのなら妬み以外の何物でもありません。
私もそろそろビジネス人生の最終期です、流石にバブル期のようなイケイケ行動はこの歳で行うは伸び過ぎた夏草のようにうざったいく感じるようになってきました。
この歳になり冒頭の名言の意味が心に心地良く響きます、私は私の方法で現代にマッチした理想郷を追求でもしてみたくなっています、きっとこれが私の最後の本当の大仕事になるのかもしれません。
「私にとって最高の勝利はありのままで生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです」
たった1本の運命ともいえる代役出演した映画によって、あらゆる名声と富を手に入れたオードリー・ヘプバーンのこの一言、大変興味深いものがあります。
子供の頃は戦時下という時期、合わせて民族問題もあり、長く辛い期間を成長期に過ごしたヘプバーンが、たった1つの偶然に齎された縁によって、その後の人生に大変化が起きた事は想像するに易しいものです。
当時のハリウッドスターは、今とは全然大きさが違います、別世界の人であり、まさに1本のヒットで大富豪に伸し上がることは不思議ではありません。
しかし、彼女は晩年「それは何の意味も無かった」ことに気づくのです。
意図的に作られた人生で主役になれたとしても、それは本当の自分の人生ではありません。
「手に余るほどのお金を得たところで、私の人生の時間は二度と返ってはこない」
自分の思うがままに生きられて、自分と他人の全てを素直に受け入れられるようになること、本当の幸福とはそういうことではないだろうか?
晩年のヘプバーンは、質素で穏やかに暮らし、そして本当に心許せる人達だけと自分の残り時間を楽しんだといいます。
この心境は、大きな成功を成し「自己実現」を果たした人だけが悟れる、「自己超越」の領域、つまり神の領域なのかもしれません。
「よくわきまえたる道には必ず口重く、問わぬ限りは言わぬこそいみじけれ」
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて名を馳せた歌人である吉田兼好のこの一言は、人間関係構築上において大変参考になります。
700年の年月を感じさせずに今も尚新鮮に心に沁み入る金言として、私は常に頭において如何なる時も言動に注意しています。
本当にその道を極めている人は自身の生業における専門分野についてあれこれとは話さないものです、それは相手に不要な警戒心と嫌悪感を与えてしまうからです。
むしろ良く知った専門分野については冗談で誤魔化すなり、あえて知らないふりをすることで価値が出るというものです。
その道を極めれば極めるほどに、その立場を得れば得るほどに口は重く閉ざすことが肝要です。
問わぬのに自身の栄光をペラペラとしゃべる人に信頼と尊敬の念を抱けるかと問われれば、多くの人の答えはたった一つでしょう。
「学校での成績が良いからといって、社会で認められるとは限らない」
古代ギリシャの奴隷だったのではないかと推測されている、寓話作家イソップ(本名、アイソーポス)の寓話に登場するこの一言は納得する人も多いでしょう。
太古の昔から学力を測る試験の多くはペーパー試験です、したがって教えられたことをどれだけ記憶できていて応用できるかということしか測れません。
社会に出てプロとして結果を残すのに必要なのは、記憶力と応用力ではなく「発想力」と「ソリューション能力」なのです。
利益計画然り、工程や段取り然り、更には人のやっていないことを行うにはゼロからの発想力と問題を分析し解決するソリューション能力が不可欠です。
成功する人は相手の学歴やスキルなどには無関心です、要はその人を評価する対象はどんな実績を残したかという根拠と、これから何を行なうかという知恵を絞った立案と実行能力です。
もっと言えば未来にその人がどのように成長できる伸び代を持っているのか、それが最大の人材評価ポイントなのです、未来に有益に使えなければどんな知識も輝かしいスキルも何の意味も持ちません。
「大統領や総理大臣には代わりがいるだろうが、オレの代わりはいないんだ」
短編SF作家でおなじみの星新一のこの一言は実に明快で解りやすいものがあります、大学生の頃は短編集を買い漁り講義のちょっとした待ち時間などによく読んでいたものです。
どんな人であろうが自分の人生の「主役」です、その「主役」を引き立て輝かせなくてはいけません、人とはみんな同じように何も無いゼロの状態で生まれ、そしてあの世へは何も持って行くことはできません。
生きている間だけなのです、その限られた時間を私は1秒たりとも無駄にはしたくはありません、自分の人生に意味ある事を意味ある人とだけ過ごしていたいのです。
どんなに疲れていても、どんなに酔っていても、家に帰れば寝る前にもうひと頑張り勉強して今のビジネスに必要な知識を得てきました。
私は過去2度も仮死を経験しました、1度目は死産から復活し、2度目は37歳で内臓を5つも摘出し仮死状態から生還しました。
その時の執刀医が意識が戻った私にこう言いました、「この世にまだやり残したことが有るんですね」と、1度ならずも2度もあの世に行きかけました、その経験から私には怖いものは何もありません。
一つだけ有るとすれば「自分の人生に失望してあの世へ行くこと」、それが私には最高に怖いのです、私はあの世へ行く時は満面の笑顔で大満足のなかで向かいたいのです。