「誰も一夜にして肉体を鍛えようなどとは思わないだろう。 それなのに、こと精神に関してはすぐにも効果が現れるのが当然だと考える人が多いようだ」
米国の心理学博士であり、現在でも多くの代表的著書を購入できるので知る人ぞ知る心理学の権威ウェイン・W・ダイヤーのこの一言は実に深いものがあります。
何事もステップアップするにはプロセスというものがあります、肉体もそうですが精神はそれ以上に成長させるためにはプロセスを踏まないと極度のカルチャーショックや情報混乱によりパニックすら起こしかねません。
学問なども同じことで聞いたり読んだだけでそれを理解したかのような錯覚を起こします、したがって用いようと思っても何も言葉にも出てこない、そして何も活用できずに何を学んできたのかと自失の念に陥ります。
これは当たり前です、本当にそれを理解し体得するには表面意識にある情報を無意識の記憶領域に落とし込む必要があります。
無意識の領域の記憶情報は、表面意識で考えなくもそのシーンが現れると自然に言葉や行動に出ます、これが体得という代物です。
自転車をどれだけ練習しても乗れなかったのに、一度でも乗れると今度は長年乗っていなくても身体が覚えていて何時でも乗れます、精神的なこともこれと全く同じなのです。
成功する人は学んでそれを試してみなければ価値の無い知識であることを解っています、成功も同じことで学ぶだけでは全く意味がありません、体得すればどんなトラブルでも慌てず考えることもなく次の一手が自然に打てるようになるのです。
「故にその疾(はや)きこと風のごとく、その徐(しず)かなること林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとく、知りがたきこと陰のごとく、動くこと雷霆(らいてい)のごとし、郷を掠(かす)むるは衆を分かち、地を廓(ひろ)むるは利を分かち、権を懸けて動く、迂直の計を先知する者は勝つ、これ軍争の法なり」
孫子兵法書にある最も有名な計で軍争編に収められています。
これを解りやすい現代風の文章にすると。
「作戦行動とは、疾風のように俊敏に行動したかと思えば林のように静まる。猛火のごとく襲撃したかと思えば山のごとく微動だにしない。暗闇に身を隠したかと思えば雷のごとく暴れまわる。組織を軽く見れば人は散り強固にすれば利益を分かつ。状況判断に基づいて行動する。臨機応変に計を用いれば必ず勝つ。これが勝利の鉄則である」となります。
この計は、武田信玄の旗印である「風林火山」のヒントとなった計としても知られています。
信玄の作戦行動の基本であり、また織田信長や豊臣秀吉など多くの武将も「勝利の鉄則」として作戦の基本としました。
ビジネスも同様で策は単発行動では効果は限定的です、複数の策を臨機応変に内外に同時多発的に反復して用いること、つまり陰陽を織り込んだ「波動作戦」が重要なのです。
解りやすく言うと、「押したかと思えば引く、引いたかと思えば押す」というような陰陽関係にある行動を反復させることを「波動」と言います。
そして何事も「策多ければ勝ち、少なければ負け」ということになるのです、有効な策を多く用いる者が勝つ、何時の時代も変わらぬ鉄則なのかもしれません。
「俊足を誇る馬はその能力を称賛されるのではなく、理想であることが称賛されるのである」
孔子論語の中で孔子の人としての理想を説いた言葉です、優れた馬を例に出していますが勿論人間に対しての例えとして話しているのは明白です。
私はこれをいろいろな角度から考えて、俊足の馬を「使命をまっとうする人」というように解釈しています。
当時も現在のレース馬のように脚長の俊足の馬と、農馬のような脚は短いが物を運んだり引いたりする力仕事に向く馬とが存在していました。
戦には情報伝達手段などで俊足の馬が多用されますが、その馬の能力を素晴らしいと言うのではなく「早く目的地に着ける」というニーズに合った存在だからこそ称賛されるべきだということなのです。
人間でいえばその道のプロです、称賛されるプロとはその人の持っている能力ではなくクライアントが期待したことにきっちり結果を出せるからこそプロとして称賛されるのです。
どんな学歴が有ろうが無かろうが、どんな資格が有ろうが無かろうが、何年その仕事をしてきたかなどはまったく論外です、そんなものは結果が出てなければ意味がない無用の長物です。
自分のやるべきこと(使命)を熟知している人は何処で何をやっても上手く立ちまわれます、成功する人は自分の使命と立場を知っています、だから他者や溢れる情報には惑わされずに自分のビジョンの確立だけを目指してぶれずに突き進むことができるのです。
「解決策がわからないのではない、問題が何かをわかっていないのだ」
イギリスを代表する推理作家でディテクションクラブ(イギリス推理作家クラブ)初代会長でもあるギルバート・ケイス・チェスタートンのある意味では厳しい一言、腸(はらわた)に染みわたります。
経営者と会って話をしていると、抱えている課題の多くでこの一言がぴったりきます。
上手く行かない、しかし自分の行動や思考の何処に問題が有るのかが見えていないようです。
その暗闇の中で解決策を考えたところで、何も得られないばかりか更にトンネルの深いところへ潜り込んでしまっています。
経験の浅い経営者がこのような状況に陥る最大の原因、それは情報過多だと思います。
一つの情報を精査する前に、次から次へと新しい情報が入り込み、思考がオーバーフローしてしまっているのです。
情報とはその多くが人が齎すもの、つまり一定期間内に多くの人と会いすぎているのです。
成功する人は、自分のブレインと言える人たちとは毎日のように会いますが、新しい人との出会いを意識的にセーブしています。
成功する人は自分の器をよく知っています。
自分を知って決して無理をしない、常に思考や行動の余裕を持って事に挑みます。
それが、成功法則の基本中の基本というものです。
「自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、いたるところで残酷にも壁に突きあたる」
「太陽の塔」などをデザインした、日本を代表する天才芸術家、岡本太郎の名言を超えた金言です。
これを、最近では逆説的に「何かを始めて壁にぶち当たったとすれば、極めて順調だということだ」と言う人も多くなりました。
そもそも、自分の思ったように経営や事業、そして人生も展開しないものです。
にもかかわらず、上手くいかないのは、何か大きな障害が有ると考えること自体がおかしいという事になります。
不安がある、悩みがある、それは人生が極めて順調に進んでいるという証でもあるのです。
何も不安も悩みも無いとしたら、逆にとんでもない方向に人生が向かっていると考えるべきかもしれません。