2024年11月 9日 06:00
人は経験によって色眼鏡を作り上げていく。
その人の本当の姿を知りたければ、
まずは自分の色眼鏡を外して裸眼で見ることだ。
さらに加えて言えば心の目でしっかり観ることだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2024年11月 9日 06:00
人は経験によって色眼鏡を作り上げていく。
その人の本当の姿を知りたければ、
まずは自分の色眼鏡を外して裸眼で見ることだ。
さらに加えて言えば心の目でしっかり観ることだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2024年11月 8日 06:00
生業を心から愉しむことができなくなったら、
それは生活原資を得る為の単なる労働というものだ。
生業なら明確な目的や夢が存在しているはずだ。
逆に労働には目的や夢などは一切不要である。
何故ならその行為は単に生活する為の手段だから。
目的に生きるのか手段に生きるのか、
問われても答える必要はない。
覚悟と姿勢を観れば誰の目にも一目瞭然だから。
守るべき人がいると言うなら手段に訴えている間は守れない。
目的意識を強く持って愉しんで生業事をするしかない。
それが組織利益向上に繋がり自身へも利益還元されるからだ。
心身をおかしくしてまで嫌々労働している哀れな姿を見て、
これで生活できると喜ぶ家族もいないだろう。
それでも自分は守るべき人を守っていると自負するなら、
それは愛ではなくて偽善に満ちた虚偽の満足感という代物でしかない。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
2024年11月 7日 06:00
セルフネグレクトという言葉が使われて久しい。
自己管理しなくてはならないものを放棄する精神疾患の一つである。
食事は適当なジャンクフードで済まし、
掃除や洗濯をせずに家の中はゴミと洗濯物の山となる。
電気やガスは止められてから未払いに気付く。
それでも自分自身だけのことだったらまだ看過もできるが、
これがビジネスに絡んでくると看過することは一切できない。
そもそもセルフネグレクトな者は他者とビジネスしてはいけない。
自己責任で好きなように生きるべきである。
自己管理できない人が他者と関るなどもっての外である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
2024年11月 6日 06:00
「一病息災」という格言がある。
健康な人よりも一つくらいの持病を抱えている人の方が、
日頃から健康に気を配り長生きするという教えである。
40歳を越えた辺りから元気な日が徐々に少なくなってくる。
毎日どこかが痛んだりだるさが残ったりする。
これが50歳を越えた辺りから二つ三つと年々増えてくる。
ところが還暦過ぎた辺りから徐々に元気を取り戻すようになる。
それを信じて今が辛くとも健康を意識して暮らすことだ。
身体だけではなく偏った思考も同じように若返りするようだ。
「長生きすれば必ず善い事が待っている」
健康オタクで有名な徳川家康が日々呟いた言葉である。
根拠を示した人の言葉は実に説得性があると思う。
心身ともに自分自身と真摯に向き合って生きることだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
2024年11月 5日 06:00
寛解(かんかい)とは完治ではなく、
自然治癒力によって見掛け上疾病が消滅した状態のことをいう。
時には成人病などの不治の病も寛解する。
アトピー性皮膚疾患や花粉症などのアレルギー疾患も然り。
私も足底筋膜炎や大腸ポリープにはじまり、
尋常性湿疹・膝関節症などを寛解させた経験を持つ。
幼少の頃は親父の荒治療で食物アレルギーを寛解させた。
寛解を引き出す唯一の方法は「何もしない」こと。
病院に行っても治療方法は注射や薬での対処法だけだ。
「薬はかえって症状を長引かせる」と言う医者もいる。
痒みや痛みに耐え我慢の日々を数年間継続させるだけでよい。
副賞として精神的な免疫力は半端無く向上する。
荒っぽく思えるがこれが私独自の治療法。
個人や企業の苦境も然りで何時かは全てが寛解する。
バタバタと悪あがきをすればするほど悪化させるだけだ。
これも多くの実経験から明確に言える事実だ。
ただし他者には決して奨めない。
精神的に堪えうる自信があるならアドバイスもできるが。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
PAGE TOP