現在幾つかの法人を連携させ食と健康に関する各種調査研究を行っています、特に健康というカテゴリにおいては栄養学や医学に始まり人類学や考古学の方面にまで発展し過去様々な角度から論じられてきました、しかし何が正しくて何が間違っているかという決定打はありません、それどころか真逆の理論が同時に存在しているという状況です。
牛乳・玄米・小麦などはその典型例で身体に良いという理論と悪いという理論がそれぞれ平行して長い間展開されています、ただ重要なのは理論ではなくて根拠なのです、その意味で古くから伝わっている世界に存在する民間療法は理論ではなく実際に多くの実証による根拠があります、これらの民間療法を医学機関が分析したところ医学的にも根拠が説明できるものでした。
健康に関しては個人差があるのが厄介な問題です、つまり人によって同じものを食しても結果としては善悪が出てしまうのです、個人差という点で重要なのは消化酵素・代謝・アレルゲンが大きく関与しています、また消化酵素・代謝・アレルゲンは遺伝子の存在も大きいのです。
先述の牛乳・玄米・小麦ですが、これらは当然栄養学的に一般論としては身体に良いのですが遺伝子学的な消化酵素・代謝・アレルゲンという角度で観ると人によってはどのように加工しようが消化できずにアレルギー反応を起こしてしまいます。
何故一般的に売られている牛乳は脱脂調整しているのでしょうか、何故玄米や小麦は栄養価の高い部分をわざわざ10%以上も削って精製するのでしょうか、そこにはしっかりとした個体による消化や代謝そしてアレルゲンという根拠があったのです。
つまり人によっては毒物以外の何物でもないほどの身体反応が現れるのも当然なのかもしれません、特に近年の健康ブームで流行っている玄米や小麦の全粒粉ですがどのように調理しようが醗酵させようが皮膚疾患を持っている人には要注意です、またうつ病などの精神疾患の人にもお奨めできません、これらの疾患を持っている人は食べる前に主治医に相談していただきたいと思います。
成分調整に精製、どんなことにも理由があるのです、そこにもっと注意深く疑問を持つ必要があるのではないでしょうか、精米が手軽に買えるようになる以前には一升瓶に玄米を詰めて棒で突き炊く毎に面倒にも精米していたことを今の若い人は知りません、それは何を意味しているのでしょうか、決して白いご飯が奇麗で美味しいからではありません、漬物用の米ぬかを作るためでもありません、これらをよく調べもせずに他者に玄米を奨めることのないようにしてほしいものです。
これらの問題が無いのが古くからの民間療法です、これらは個人差に関係なく効能が認められるという研究成果があるのです、世界の昔からある民間療法や加工食材、そこに真の健康法が隠されている気がしてなりません。
私は3年前から世界中のスパイス・ハーブ・薬草・大豆・ゴマなどを大量に買い求めています、これらを入念に調べていくうちにフィトケミカルという存在がクローズアップされてきました、しかし更に研究すると多くは雑草と言われている植物に多数存在していたのは驚きました。
そしてこの3年の間に昔から伝わる民間療法や加工食材を身をもって実験しています、確かに持病である花粉症は緩和され身体中のリンパの腫れや鼻や喉の粘膜感染症などは一切起きていません、更には皮膚に起こる食物アレルギー反応もかなり少なくなりました、これだけ長期間健康の不安なくいられるのも珍しいことです。
それと副産物として睡眠時間が平均6時間と以前よりも1時間ほど長くなっているのです、また熟睡なので昼間に眠さは襲ってきません、ただ時間が無くて複数同時で行っているため何がどう効いているのか分析できないのです。
そこで思い付いたのがモニターです、各種の持病を持つ大勢の人でシステマチックに行えば早くて確実という結論に至りました、皆で愉しんで食事をして健康になって長生きできたら素晴らしいことだと思うのです。
本人が意識するしないは無関係についマイナスなことを言ってしまう人がいます、このような人は何故無意識にマイナス言葉を使ったり周囲を不愉快にしてしまう会話や文章になってしまうのでしょうか?
それはその人の無意識の領域で行われている思考が本来マイナス思考であったり他者を思いやらない自己中心的な思考であったりするからだと考えられます、つまり話し方や文章を観れば解る人にはその人の思考パターンや人となりが手に取る様に解ってしまうのです。
意識してその場だけを取り繕っても無意味です、使う用語・接続詞・視点・視線の方向・優先順位などに矛盾が生じてどこかで暴露されてしまいます、話し方や文章で信用や信頼を失う人は少なくありません、また無意識に他者を傷つけている可能性も否定できず自分の気持とは裏腹に他者を不用意に怒らせたり恨まれたりしてしまいます。
基本的にこれを修正したいと思うのなら言葉や話し方を学んだところでまったく意味がありません、最も重要なのは思考そのものを変えなくてはいけないのです、つまり思考の原点に在る心の問題なのです、表面的な事項は簡単に修正出来ても過去から培われてきた心の特性そのものを修正するのは相応の時間と努力が必要です。
姿勢(行動思考)・視点と視線の向き・優先順位、これらを強く意識して他者の反応を真摯に受け止めて自身に落とし込んでいくことです、この3つの思考ポイントですが成功している人は実に正しく身につけていて成功しない人は全てを間違って身につけています。
ここに絞って考察すると何故上手くいく人と上手くいかない人に分かれるのかも具体的にハッキリ解るようになります、もう一つは脳内ホルモンの存在を正しく認知することです、切れやすいとか落ち込みやすいなどの表面性格や思考パターンの多くは脳内ホルモンの分泌構造によって形成されるという研究論文もあります。
性格が明るくなった、びくびくするようになったなど表面的な性格や表情は実は脳内ホルモンの分泌構造が変化して起きているのです、また脳内ホルモンの分泌は摂取する栄養素と生活環境が密接に関与しています。
偏った栄養素と適さない環境によって歪んだ思考が生まれ表面性格が形成されていってしまう、まさかと思うような事実が医学的にも立証される時代なのです、思考特性と活動能力を意識するなら脳内ホルモン、そして摂取する栄養素、これを認知して修正を試みる方が生産的でしょう。
更には男性ホルモンであるテストステロン値も行動と思考に深く関与しています、元気が無く塞ぎがちになったら確実にテストステロン値が大きく下がっています、男性のテストステロン値が下がった状態は年齢に関係なく最悪です、周囲のお荷物になっても役に立つことなどは皆無でしょう、闘争本能を忘れ何事も守りに入ってしまうからです。
結婚や人間関係を含めた職場環境の変化などで思考が変わり人間性が徐々に変わってくる事実があります、これらも全てが食の変化と生活リズムの変化が大きく関連付けられるのです。
「数より質」とは昔からよく言いますが数を誇る理論も確かにあります、特にビジネスでは一定の継続期間と回数が実績として高く評価されます、また大きな根拠としてサイトなどで表示すれば威力を発揮します、ここには面白いように人の不思議な心理が垣間見ることができます。
例えば期間は10年がものを言うようになります、9年では相手にもされないのですが10年以上ともなると突然のように評価が変わるのです、だから私は門下生にもよく言います、「事業を作ったら10年は継続しろ」と、これが面白いように成果も出なかった事業が10年以上となると突然のように拡大成長してくるのです。
創業して10年以上同じ事業を営める企業は3%以下という統計があるほど10年同じ事業を営むことは価値が高いのです、ただしこの統計は年商1億円以上の中小企業が対象となっています、どんな企業でも一つの事業を10年続けることは極めて尊くそして大きな実績と根拠となることは間違いありません。
また回数でいうと100回がものを言うようになります、これも99回では効果が薄く100回を越えてくると突然大きな意味と価値を持つようになります、例えばセミナーや公演の回数、実証試験の回数、臨床試験のサンプル数、どれも最低100以上を示すことが信用される根拠となります。
人の数に対する心理を理解しそれを解った上で思考を凝らし粛々と物事を進めることが無理のないビジネス推進の方法であり結果において価値多い人生を歩めるのだと思います、焦らずじっくり数を粛々と重ねることこそ「数の理論」を正当化させる方法だと思うのです、そしてその結果において根拠を作り上げることができるのです。
先の数年間に韓国で流行した「ネロナンブル」という造語は、「自分のやっていることはロマンでも他者が同じことをすれば不倫」という意味であり昨今政治経済の多くの人がこの言葉でマスコミに叩かれています。
つまり自身の行いを正当化させる為に自身の行いは棚に上げて美化しておき他者の同じ行為を不正だと攻める行為をいいます、今に始まったことではなく昔からこういう人はどこでも見受けられますがいったいどんな心理で思考し行動しているのでしょうか。
その根幹にあるのは推測の域ではありますが一つはマウンティングでもう一つはコンプレックスです、マウンティングとはボス猿が若い雄猿に対しての行為で相手を後ろ向きにしてまたがり強さを誇示します、ちなみにマウンティングとは「またがる」という意味の英語です。
コンプレックスは古典心理学の創設者アルフレッド・アドラーの著書によれば、「コンプレックス人間はそれを自身に受け入れられずに多くの不可思議な自己啓示行動を行う」とあるように自身を正当化する為には他者を卑下することで欲求を満たそうとする心理であることが理解できます。
いずれにしても私はこういう人から経営や生き方を非難されると反発するどころか成功を確信するようになります、何故ならコンプレックスを抱えるほど上手くいっていない人に非難されるということは逆説的に考えれば現在の延長線上で上手くいくということに他ならないからです。
ときどき突いてくる指摘ポイントがまともな場合もあります、そのポイントについては即改善します、改善すれば他者に非難されるべく事実が無いということになり、逆に非難する人はいずれ他者から非難を浴びるようになるからです。
「どんな嫌みな人であっても有利に捉えて利益活動に活用する、看過できないほどの振舞いを認知したら綺麗に縁を切る」、これをしっかり人間関係の方針として持っていればどのような人間が現れようが恐れるに足りず常に正々堂々としていられます。
還暦を超えた辺りから身体の異常が怒涛の如く表面化した。
約20年ぶりの歯の治療は1年以上に渡り、
足底筋膜炎で2年間も正常に歩くことができなかった。
五十肩の激痛に1年間悩まされ、
極めつけの椎間板ヘルニアが厳しかった。
これらは全て老化現象に紐付いている諸症状である。
押し並べていうと更年期障害ということだ。
身体組織が高齢者仕様に作り変わっていく過程で起こる諸症状だ。
そして今は軽やかに動く元気な身体とクリティカルな脳を取り戻した。
体重もベストになり人間ドックでは全項目で異常無し。
充実すべく隠居生活での病院通いは精神的にも地獄である。
そういう意味では身体も隠居準備が万端完了したということだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。