Do not add anything, do not draw anything.
「何も足さない、何も引かない」、
イギリスのケンブリッジオーディオ社のポリシーである。
アンプは入ってきた信号を質を変えずに増幅して、
スピーカーを駆動するのが使命。
優れたアンプはスピーカーを選ばない。
個性的な音がするのはスピーカーの個性。
個性をそのまま引き出すのが優れたアンプ。
アンプはアンプの使命に忠実に生きることだ。
人間もまた同様に。
使命に忠実に生きれば自分も周囲も幸せになる。
「ポリシー」とは解りやすく言えば「使命」そのもの。
自身の使命に気付きもせずして日々平々凡々と生きる人が、
成功したいなどと夢を語るのは以ての外だ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
アルコール飲料を一切出さない喫茶店を純喫茶と呼ぶ。
その昭和ノスタルジックな純喫茶のランチメニューは、
どの店でもほぼ同じで50年以上何も変わっていない。
カレーライス・ナポリタン・ピラフ、
またその店の味を出せるサンドウィッチの数々。
変化球としてドライカレー・ミートソース・ホットサンドがある。
50年以上変わらぬメニューでも常連客が多数いる。
理由はいつ食べても飽きのこない味だからだ。
逆に食べることができなくなっても惜しまれる味でもない。
つまり押し並べて無難な味だということだ。
だから喜ぶ客もいないが文句を言う客もいない。
したがって確実に利益が取れるメニューということだ。
こういうメニューを鉄板メニューという。
妙なプライドで素材を厳選して手間をかけても、
利益にならなければビジネスとしての価値は皆無である。
飲食店を経営するなら鉄板メニューを作り上げることだ。
この思考は全ての業種に応用できる哲学でもある。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
ロジカルシンキングという発想力を鍛える手法がある。
これは直訳すれば論理的思考である。
ロジカルシンキングを有益に使えるのが経営戦略や事業計画、
そして特許のアイデアや技術的解決である。
目的を明確にしたシミュレーションと言えば解りやすい。
対して空想はただのファンタジックな想像に過ぎない。
ただ私の場合だけかもしれないが、
ロジカルシンキングと空想の区別がつかないときがある。
特に休日の昼下がりにビールを飲みながらのジャズ鑑賞。
頭の中にはいろいろなビジョンが複数同時に沸いてくる。
多くは戯れごとだと思っていると、
数日後に特許に係るアイデアに繋がることもある。
また水際で大損失に繋がる事案をストップさせたこともある。
だから頭が暴走を始めたら放置することにしている。
こんな自分に慣れているのか対処法は心得ている。
ただ弊害は数日間ゆっくり眠れなくなるということくらいか。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
一つのパーツが頭に浮かぶ。
そのパーツを考えていると別のパーツが頭に浮かぶ。
それがどんどん増えていき頭の中で収拾がつかなくなる。
浮かんでは消え新たに浮かんでくるパーツの山。
来る日も来る日も自らをストイックなまでに追い込んで、
根気強くパーツを一つ一つ時間をかけて熟考していく。
とある瞬間バラバラだったパーツが一瞬にして組み上がる。
この達成感に心の底から晴々しさが沸いてくる。
忘れることができないほどの大きな喜びを得る瞬間。
精神を集中させた証明でもあり継続してきたことへの勲章である。
それは生涯に渡り大きな金字塔となり、
かけがえのないキラリ輝く宝玉となる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
人は出会いに価値を見い出せるのに、
どうして別れに価値を見出そうとしないのだろうか?
無意味な出会いも価値ある別れもあってよい。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。