ダビンチの絵にX線を当てても何も映らない。
それは油で薄く伸ばした絵具を何度も塗り込むから。
だから筆の跡が一切残らず平坦になり透明感が出る。
1回ずつ乾かしながら塗るので完成に1年以上かかる。
残された絵画の数から計算すると、
複数の絵を同時並行で書き進めていたことが解る。
天才とは技法に加えて手法さえも編み出していく。
ただ絵が上手いだけの人なら5万といる。
人を魅了するのは絵の上手さだけではない。
他者には真似できない神技を実現させるから。
だからダビンチは肌の透明感を描く天才として絶賛された。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
還暦過ぎての食欲とアルコール摂取量は半端ではない。
天は意味の無い事は与えない、
そう信じて思うがままに心身を満たす日々。
毎日美味しいものをたらふく食べて、
美味しいお酒もたっぷり飲んでも元気に過ごせている。
これ以上の何を望むべくもない。
ただ不思議なことに体重は増減することもなく一定である。
人間ドックの結果もこの数年間はすこぶる良好である。
成人病検診と癌検診も合わせて毎年欠かさず受けているが、
何一つ異常も無く健康体そのものである。
還暦過ぎて確実に身体細胞が変化しているのを自覚する。
隠居生活に合わせるように細胞が進化しているのかもしれない。
そう思うようにして日々マイペースに愉しんでいる昨今。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
同じ言葉に同じ文章なのに、
何故人によってこうも響き方が異なるのだろう?
思うに会話やリテラシーを磨くより、
人間力を磨いた方が有益だという根拠がここにある。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
真に過ちを反省してほしいときは、
大きな後悔と自失の念を味わってもらうことだ。
これほど身に染みる学びはない。
ただし多くの人は二度と目の前に現れることはないが。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
情緒豊かな生徒は人間味ある先生が好き。
目標達成に燃える生徒は真面目に教える先生が好き。
将来の目標も無くその日暮らしの生徒は、
面白おかしく冗談ばかり言う先生が好き。
自分がどんな先生が好きかで自身の理想の生き方が解る。
子供の頃は素直に大人を評価している。
そして大人になっても子供の頃の基本思考は変わることはない。
ほぼ例外なく8歳で基本思考が確立し13歳で固定化するらしい。
ところで自分はどんなメンターを欲しているのだろうか。
欲するメンターは自身の基本思考に司る理想の生き様そのものであり、
理想の姿や成れの果ての姿でもある。
誰を真にリスペクトしているかで、
未来の姿が決定されると言っても過言ではない。
ただし上手くいってもメンターの生き様を引き継ぐだけで、
メンターを越える人生を歩めることはない。
つまりメンターを欲している時点で他者依存の極みということだ。
だからこそ自身の理想郷を創出したいと真に思うのであれば、
他者に頼るのではなく全てを自身の感性と努力だけで行うことだ。
他者を頼らず他者に迷惑もかけない自由奔放な生き方をする人が、
後々他者からメンターと慕われる人になる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。