ロジカルシンキングという発想力を鍛える手法がある。
これは直訳すれば論理的思考である。
ロジカルシンキングを有益に使えるのが経営戦略や事業計画、
そして特許のアイデアや技術的解決である。
目的を明確にしたシミュレーションと言えば解りやすい。
対して空想はただのファンタジックな想像に過ぎない。
ただ私の場合だけかもしれないが、
ロジカルシンキングと空想の区別がつかないときがある。
特に休日の昼下がりにビールを飲みながらのジャズ鑑賞。
頭の中にはいろいろなビジョンが複数同時に沸いてくる。
多くは戯れごとだと思っていると、
数日後に特許に係るアイデアに繋がることもある。
また水際で大損失に繋がる事案をストップさせたこともある。
だから頭が暴走を始めたら放置することにしている。
こんな自分に慣れているのか対処法は心得ている。
ただ弊害は数日間ゆっくり眠れなくなるということくらいか。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
一つのパーツが頭に浮かぶ。
そのパーツを考えていると別のパーツが頭に浮かぶ。
それがどんどん増えていき頭の中で収拾がつかなくなる。
浮かんでは消え新たに浮かんでくるパーツの山。
来る日も来る日も自らをストイックなまでに追い込んで、
根気強くパーツを一つ一つ時間をかけて熟考していく。
とある瞬間バラバラだったパーツが一瞬にして組み上がる。
この達成感に心の底から晴々しさが沸いてくる。
忘れることができないほどの大きな喜びを得る瞬間。
精神を集中させた証明でもあり継続してきたことへの勲章である。
それは生涯に渡り大きな金字塔となり、
かけがえのないキラリ輝く宝玉となる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
人は出会いに価値を見い出せるのに、
どうして別れに価値を見出そうとしないのだろうか?
無意味な出会いも価値ある別れもあってよい。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
プライベートでは自分の気持優先で振る舞っても、
ビジネスでは常に相手の気持優先で振る舞うことだ。
これならビジネスで大きな失敗をすることはないだろう。
そもそもビジネスに自身の思想や思い入れ、
そして感情を持ちこむこと自体が間違っている。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
ビジネスにプライベートに、
やることがめいっぱい詰まった長い一日。
こんな日が長期連続するときは誰しもある。
こういう怒涛の如く急務が押し寄せるときは、
確実に「流れの岐路」に入り込んでいるときである。
善き流れに乗れるのか、
それとも悪しき流れを作ってしまうのか。
その結果は誰にも解らない。
ただ善き流れに乗れる直前には、
一瞬だが穏やかなフォローの風が吹く。
この極微妙なフォローの風を感じとれるか否か、
経験で鍛えられた超肌感覚が最も活きる瞬間である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。