2024年10月14日 06:00
男の道楽とは実に非生産的な存在である。
馬鹿かと思うほどの時間とお金を浪費して、
達成感に愉悦しては納得して終わりなのだから。
現実思考の女性にはおそらく理解できない行為である。
ただこの非生産的で無利益な行動によって、
明日の生産的エネルギーを得ているとしたらどうだろう。
そう考えると男の道楽は極めて生産的な余裕行動に変わる。
道楽とは当然にあらゆる意味での余裕があるからこそできること。
経済的余裕に加えて精神的余裕が不可欠である。
道楽が愉しめる状況は押し並べて幸福だということだ。
ただし現実逃避の手段としての男の道楽は愚の骨頂。
それこそ非生産行為の極みであり道楽を行う資格は無い。
良好なる人間関係の中でビジネスがスムースに回り、
余裕ある生活の中で初めて道楽は道楽として在り続ける。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。