セルフネグレクトという言葉が使われて久しい。
自己管理しなくてはならないものを放棄する精神疾患の一つである。
食事は適当なジャンクフードで済まし、
掃除や洗濯をせずに家の中はゴミと洗濯物の山となる。
電気やガスは止められてから未払いに気付く。
それでも自分自身だけのことだったらまだ看過もできるが、
これがビジネスに絡んでくると看過することは一切できない。
そもそもセルフネグレクトな者は他者とビジネスしてはいけない。
自己責任で好きなように生きるべきである。
自己管理できない人が他者と関るなどもっての外である。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
「一病息災」という格言がある。
健康な人よりも一つくらいの持病を抱えている人の方が、
日頃から健康に気を配り長生きするという教えである。
40歳を越えた辺りから元気な日が徐々に少なくなってくる。
毎日どこかが痛んだりだるさが残ったりする。
これが50歳を越えた辺りから二つ三つと年々増えてくる。
ところが還暦過ぎた辺りから徐々に元気を取り戻すようになる。
それを信じて今が辛くとも健康を意識して暮らすことだ。
身体だけではなく偏った思考も同じように若返りするようだ。
「長生きすれば必ず善い事が待っている」
健康オタクで有名な徳川家康が日々呟いた言葉である。
根拠を示した人の言葉は実に説得性があると思う。
心身ともに自分自身と真摯に向き合って生きることだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
寛解(かんかい)とは完治ではなく、
自然治癒力によって見掛け上疾病が消滅した状態のことをいう。
時には成人病などの不治の病も寛解する。
アトピー性皮膚疾患や花粉症などのアレルギー疾患も然り。
私も足底筋膜炎や大腸ポリープにはじまり、
尋常性湿疹・膝関節症などを寛解させた経験を持つ。
幼少の頃は親父の荒治療で食物アレルギーを寛解させた。
寛解を引き出す唯一の方法は「何もしない」こと。
病院に行っても治療方法は注射や薬での対処法だけだ。
「薬はかえって症状を長引かせる」と言う医者もいる。
痒みや痛みに耐え我慢の日々を数年間継続させるだけでよい。
副賞として精神的な免疫力は半端無く向上する。
荒っぽく思えるがこれが私独自の治療法。
個人や企業の苦境も然りで何時かは全てが寛解する。
バタバタと悪あがきをすればするほど悪化させるだけだ。
これも多くの実経験から明確に言える事実だ。
ただし他者には決して奨めない。
精神的に堪えうる自信があるならアドバイスもできるが。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
自分のポリシーや方法でやりたいのであれば、
全ての責任を背負って自分の力だけでやることだ。
自分だけでは出来ずに他者の力を借りるなら、
他者を信頼して余計なことを考えずに全てを任せることだ。
他者に頼るだけ頼っておいて自分の都合を押し付ける、
極めて身勝手な人間であり信頼を失って当然である。
任せられた方は責任を背負って他者事にも関らず、
自分の事以上に考えてやっているというのに。
中途半端な姿勢はいつの時代も負の遺産だけを残すようだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
威勢は良いが態度が悪い。
情熱は有るが志が無い。
行動は早いが結果を出すのが遅い。
プライドは高いが意識レベルが低い。
思い込みは強いが見極めが弱い。
こういう人とビジネスしても結末は既に見えている。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。