「es」(エス)とは、幼少期から現在までに抑圧されたエネルギーが蓄えられているとされる精神分析学上の概念です。
抑圧されたエネルギーが何かをきっかけに自我に働きかける、そして目覚めた自我は異常な程に肥大し手がつけられない状況になります、もしかしてこの状況に陥ったのではないかと思える人がこの数年で急増してきたように思えるのは私だけでしょうか。
例えば過去に大きな成功も無く悔しい思いを長年持ち続けてきた人が企業の役員になる、事業推進上のステークスホルダーになる、あるいは団体や組織のまとめ役やキーマンに抜擢されたとします。
そこで「es」は自我に働きかけ目覚めさせます、その途端に豹変し我が物顔で組織をコントロールしようとするのです。
限られた組織に留まっていればまだよいのですが、これが組織外の周囲に対しても横暴さを振りまくようになったら手がつけられません。
これらの事実は何も今に始まったことではなく過去からこのような人は多数見てきたので驚きはしませんが最近はこの傾向がどんどん若年化してきているのは意外な事実です、何故なら本来こういう傾向はある程度の年齢に達した人に多くみられたからです。
今まで「~さん」と呼ばれていた人が、「~社長」とか「~代表」などと呼ばれたり紹介されていくうちに「es」が自我を目覚めさせ、「オレ、もしかして成功者?」と大きな勘違いをさせるのではないでしょうか。
成功とは決して外見的なことや立場ではないのです、真の成功者はどのような状況下であろうがどのような立場であろうが実に謙虚です、必要が無ければオーラを消しでしゃばることもしません。
社会的地位や立場に敏感な人ほど自身がその地位や立場に就いたときに起こしやすい傾向があります、そんな人ほど過去に押さえつけられていたものが強く、「es」が思っている以上に大きく育ってしまっているのかもしれません。
これが本物のダイヤモンドかどうか?
疑うのなら割ってみればすぐ解る。
問題は本物の原石かどうかではなく、
それを確認する勇気が有るか無いかということだ。
確認しなければ何も無かったで済む。
割ればシロクロはっきりして満足するか、
損害賠償するかどちらかの話し。
割って確認する勇気が無いなら、
出されたものを素直に信じることだ。
それが最も成功する賢い生き方ということだ。
屁理屈言っては自身の方針を通すなら、
この話しは最初から無かったことにするだけだ。
覚悟が無い者は成功とは程遠い世界で生きるのが善い。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
私は昔から気が付けばロジカルシンキングしています、頭の中には常に複数同時進行で幾つものロジカルシンキングが何をしていても蠢いています。
ところで「ロジカルシンキング」は日本語では「論理思考」であり夢想的な空想とは異なります、会社の未来ビジョンや人生のリアル計画そのものであり、また具体的なそれまでの過程における施策や行動シミュレーションなのです。
つまり頭の中に描かれる事業計画書やPDCAサイクル表、更にはライフプランそのものといえます。
ロジカルシンキングを常に行っているといざという時に極めて敏速な行動がとれます、一つの事項で3手先まで、更にその先まで複数の事項が絡むと展開は多岐に渡り複雑化しますが難解のパズルを解くように愉しんでいるのです。
ビジネス展開では現実に起こるほとんどの事象がロジカルシンキングでシミュレーションしているのですから、シミュレーション通りの行動と決断を瞬間的に行うことができるのです、よく「何事も即断即決ですね」と言われますがその場で改めて考える必要がないので当たり前なのです。
私のロジカルシンキングは歳を増すごとに強く精度がすこぶる良好になってきました、ビジネスでは毎日の出来事のほぼ全てがロジカルシンキング通りに進んでいるのです、時に突発的なトラブルとしてロジカルシンキングには出てこなかった展開が起こることがあります。
でもそれこそが私の大きな喜びであり本当の意味での愉しみなのです、例えそれが大きなトラブルであってもです、新鮮味を感じ新たなソリューションのロジカルシンキングと展開を愉しめるからに他なりません。
簡単に見えるものほど実は複雑で、
複雑に見えるものほど実は簡単だ。
簡単に成功していく人は、
有益な人脈と有効な成功ノウハウを確実に持っている。
もしくは自らが絶大なるステークスホルダーかだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
その人の心が解らないときには、
何も持ってない振りをすることだ。
それでも寄ってくるなら一旦は信用してもよいだろう。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。