私は世の中に意味も理由もないことは皆無だと思っています、だから自分が行うことはすべてが意味も理由もあることなのです。
例えば私事ですがビジネス用に用意されたオウンドメディアに、他者から見れば絶対にプライベートだろうと思えるブログを突然のように立ち上げてマイペースに道楽記事を書いています、それが最近ではオーディオだったりウイスキーだったりとほぼITという生業ビジネスには不必要な情報ばかりです。
もっと言えば第二種金融免許を子会社で取得したのをきっかけに金融取引関連の記事を上げ、既に金融ビジネス子会社を売却後の今でも継続して金融商品取引に関する記事を6年前から定期的にメンテナンスしながら上げ続けています、どれもすべてが自分が得てきた知識やノウハウをまるで記録を残すかのようにまとめながら行っています。
他者の目には一見して意味の無いような事実が実は私的には将来大きな意味があるのです、つまりその理由が明確になるゴールがしっかり見えているのです、そして準備しながら事業化のタイミングをじっくりと見定めているのです。
私は無駄に準備期間を他者の数倍も長くとることがあります、事業開始の5年も前にサイトだけをオープンしてしまうことなどは当たり前のようにあります、形ができればそれに向かう姿勢と行動が自然に決まるからです。
逆に準備期間に3年かけても事業開始1年以内で廃止や休眠させることも多々あります、それは事業化してみて初めて解る障壁や課題を実体験してしまうからです、そして克服するための期間と予算を検討します、そこで期間と予算がその事業規模と収益に見合わない場合は潔く撤退するか一旦休眠して再構築するかを決めるのです。
やり始めたことを済し崩し的にずるずると継続させることほど無駄な時間とお金を使うものはありません、「準備は充分に撤退は一瞬に」が私の長い経営経験から得たビジネスポリシーなのです。
「人間万時塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)
中国の古書「淮南子(えなんじ)」に載せられている教えです、25歳で独立し28歳で法人化した私は、経営指南役として当時70歳近い大手接着剤会社の社長だった人を専務取締役として登用し3年間経営手法をみっちり学びました。
その当時の専務がこの言葉を使っては、「今この瞬間に一喜一憂するな」と事あるごとに私を冷静にさせてくれました。
この「人間万時塞翁が馬」の意味ですが、まず「人間」は「じんかん」と読み人のことではなく「世間」を意味しています。
そしてこの言葉の由来の話を要約すると、大切な村の馬が逃げ出してしまった、それを見た老人が「これが不幸とは限らない」と言いました、その通り逃げた馬が多数の馬を連れて戻って来ました。
それを見た老人は「これが幸福とは限らない」と言いました、その通り馬に乗った老人の息子が落馬して大怪我を負いました。
それを見た老人は「これが不幸とは限らない」と言いました、その後、隣国との紛争が起り多くの若者が戦死する中、老人の息子は怪我のため戦争に加わらず無事でした。
成功する人は今この瞬間の出来事に一喜一憂しません、それが本当に幸福なのか不幸なのかは未来にはっきりするのであって今は解らないからです。
少なくても今この瞬間の小さな喜び事に湧いて、その後に起こる事への事前準備を怠ることがないようにしたいものです。
取り決め事は詰めるのに時間を要す。
しかしこれらはあくまでも体裁上の約束事。
樹木で例えるなら「枝葉」である。
重要なのは「総論」である。
つまり何を目的として契約するかである。
樹木で例えるなら「幹」である。
本当に重要なのは互いに信頼するということ。
互いに相手を思いやる「心」の問題である。
樹木で例えるなら「根」である。
更に契約を交わすことだけが「契約」ではない。
口頭であれ約束すればそれはもう契約と同じ。
約束を守らないのは「契約不履行」に他ならない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
綺麗な花にはトゲがある。
美味い料理には毒がある。
儲け話には例外なく裏がある。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
有能な人材は五万といる。
いないと思うのは視野が狭いだけ。
何事も自分の周辺だけを見て思考するな。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。