2024年7月 7日 06:00
自分と家族の生活を優先する。
それは当たり前なことであるし誰も否定はしない。
ただ一緒に苦労したい人だとは思わない。
何故なら仲間の利益を優先してくれないからだ。
結果的に仲間の利益を優先しあえば、
自分と家族の生活が潤い守ることができるというのに。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2024年7月 7日 06:00
自分と家族の生活を優先する。
それは当たり前なことであるし誰も否定はしない。
ただ一緒に苦労したい人だとは思わない。
何故なら仲間の利益を優先してくれないからだ。
結果的に仲間の利益を優先しあえば、
自分と家族の生活が潤い守ることができるというのに。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2024年7月 6日 06:00
一つの学問を学ぶと全ての事項をそれに関連付ける。
これをやっていると思考が硬く狭くなる。
学問とは解を得るための一つのツールに過ぎない。
同じ事象でも物理と数学の視点と解が異なるが如し。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2024年7月 4日 06:00
過日の死者が多数出た韓国での地下鉄火災事故、とっさの判断で逃げ延びた乗客が携帯電話で撮った映像が全世界のテレビニュースで流れました、同様に各種のテレビ番組での「重大事故」ニュースでの悲惨な映像が記憶に残ります。
これらの映像を見て何となく違和感を感じたことはないでしょうか、例えば韓国での地下鉄火災事故ですが車内に煙が立ち込め炎も上がっています、絶対に異常な状況であるにも関わらず多くの人は逃げようとはせずに座ったまま平然としているのです。
また大きな山火事や火山噴火などではすぐそこまで火や溶岩が迫っているのに逃げるどころか屋根に上ってただ呆然と迫りくる溶岩を見ています、警告音が鳴っているのに踏み切りの中で動けなくなってしまっています、結局この人たちは亡くなってしまいました。
これらの異常事態のとき何故逃げたり何らかの対処をせずにその場に居続けるのでしょうか、これには人間にしか備わっていないある種の危険な心理が働いています、それが「正常性の偏見」という心理です。
「正常性の偏見」という心理はある一定の危機感を超えた異常事態が自身の身に起こるとパニックを起こし身を危険にさらす状況を抑えるため、その異常事態を勝手に「これは正常なる平穏な状況である」と脳が認識してしまう機能です。
その結果において身体が固まってしまったかのように自らは何もしようとせず事が収まるのをただただ待っているだけという極めて奇異な行動をとります、つまり自分が危険にさらされるという状況を無視することで恐怖感から開放するように我が身に迫っている状況とは裏腹にリラックス状態になっているのです。
この心理状態のときの初期にはノルアドレナリンが大量に放出され次にこれをリセットするようにセロトニンが分泌されます、続いてドーパミンとエンドルフィンが多量に分泌されます、したがって熱いとか痛いとか怖いという感覚がなく、むしろハイな状態になって笑顔でいられるという実に怖い心理なのです。
この心理の持つ本当の怖さはビジネスなどの通常の生活シーンにも現れるということです、例えば倒産や経済破綻に追い込まれているような状況でこの心理が働いたとしたらどうなるでしょうか、また致命的な大きなミスを犯して生活が奪われてしまうような状況でこの心理が働いたらどうなるでしょうか。
これは決して架空の話しではありません、多くの倒産企業の経営者や自己破産者の多くは前日まで友人たちと楽しく飲んだりリラックス状態で熟睡しているのです、また致命的な大きなミスを犯してしまった人がそれに激怒されても自身の事ではないように上の空で聞き流し笑みまで浮かべて平然と事態をスルーしようとしてしまうのも同様です。
ビジネスでの新規事業の立ち上げ時は各種の不安が常につきまとい百戦錬磨のベテランの人でも熟睡できないという緊張状態が継続するのが当たり前なのです、もしも新規事業の立ち上げ時や有事の際に担当者が毎日熟睡でき通常の状態で過ごせているとしたら他者事とドライに割り切っているか、もしくは心理学的に観て相当危険な心理状況に陥っている可能性が極めて高いと言えます。
何れにしてもこのような状況の人に重要な任務を任せることは死活問題になります、だから経営者は常に担当者の心理状態を厳しくチェックしていなければならないのです、期限厳守や優先事項の判断ができないなどの危険を感じたら即日のうちに担当を有無も言わせず交代させることです、厳しいようですがビジネスでの采配ミスは多くの人の生活を奪います、事業と関係者の生活を守るという大義名分をもってステイディなランニング状態になるまでクール&ドライに徹することが肝要です。
2024年7月 3日 06:00
何をやっても上手くいかない人の特徴の一つに自身の行動に対して何事も事前事後の確認と他者への通知を行わないという誤った思考による身勝手な自己完結人間であるという事実があげられます、個人事業であればこれで良いでしょう、一人しかいないのですから全部自分の責任で自己完結でやればよいのです、どんな結果であろうともミスも自分で拭えばよいだけです。
しかし組織の中にあってはこれは大問題です、例えば公的書類の作成など経営上極めて重要な事項であるにも関わらず事前事後で経営陣に確認もせずに公的機関に書いたらすぐ考えも無しに申請してしまいます、またその報告も経営陣に聞かれるまでは行いません。
結果的に不備を指摘されて再提出となり経営陣や同僚の怒りを買います、それはそうです一人のミスが自分たちの生活に直結するのですから、たった数分で終わる確認や報告をしなかった為に再提出によって認可が下りるのが数週間遅れお金が振り込まれるのが1ヶ月遅れてしまうのです。
予定していた資金が入らなければどうなるかは言うまでもありません、これが全社員の生活に直結する問題だということです、報告書などの文章も誤字脱字だからです、本人は確認しているつもりでしょう、でも結果的に誤字脱字に加えて日本語の言葉使いや文法がおかしいし妙な段落や改行などで何を言いたいのかが解りません。
更には物事のファンダメンタルズを得ていないのか理解していないのか誤った理論や解釈を平気で公言してしまっています、これは自分の株を下げる効果以外には何もありません、私はよく「たかがブログ、されどブログ」と言います、その本質は「私文書でありながら自身の考えを文章化できない人に公的書類を扱うビジネスなどできるはずはない」ということです。
各種申請書もそうですがビジネスには企画書や提案書、また事業計画書など多くのビジネスドキュメントが必要になります、こういった書類は営業推進だけではなく資金調達や事業提携などに極めて重要なポジションを占めるのです。
本来であれば何度も何度も読み直し更に他者にも事前事後で確認してもらいながら修正してはこの繰り返しで寝る間も惜しんで数十回も読んでは書き直して最終形を磨きあげていきます、最終的には頭に全ての図や表と共に文章が記憶できるほどになっているのが本来のプロの仕事です。
したがって他者に渡した書類を自身は見ることなく全てきっちり説明できます、だから信用され信頼感からクロージングもお願いすることもなく一発で決まるのです、このたった一つの文章やドキュメントの裏にどれほどの時間と神経を使っていたのか読んだ人にはすぐ解ります、そして感動と信頼を与えるのです。
実は他者に文章を読んでもらったりドキュメントを渡す行為は極めてリスクが高いのです、何故ならその人の「人となりとビジネスに対する姿勢」に加えてそのドキュメントの信憑性がもろに表面化するからです、ブログなどは私文書なのですから生き方と人となりが見事に現れてしまいます、成功している人は例えブログでさえも何度も何度も見直し修正を加えたうえでアップしています。
ここにはいい加減な文章を公開できないという真のプロ意識があるからに他なりません、これが「たかがブログ、されどブログ」の真意なのです、ブログに限らず社内連絡さえもきっちり仕事をする人は何度も何度も読んで誤解されないかなどを気にしながら編集を重ねて初めてアップしています、でもこれが普通の社会人の常識であり社会通念なのです。
では適当に読んだだけで間違いないと思い込んであっさりと文章や書類を公開してしまう人とは何なのでしょう、「自分は誤りをしない」というナルシストな自信でもあるのでしょうか、そのナルシスト的発想での思い込みとミスしても誰かがカバーしてくれるという手抜き作業こそ組織においては他者に不要な作業をさせてしまう大きな障害になるのです。
こんな極めて単純な人間関係の基本中の基本事項でさえも真に理解できない人が驚くことに実際に世の中にいるのです、「何事もやっつけで適当にやるズルイ人」という評価を下された瞬間にその人の末路は決まってしまいます、この評価を修正するには評価を下された10倍もの期間と努力が必要になります。
ビジネスとは厳しい世界なのです、面倒な事から逃げ結果的に面倒な事を他者に押し付けて自分は自分事だけして楽して生きている人に成功や夢の実現など一生を通しても成し得ないでしょう、ミスした人が家族と団欒している間にリカバリーする人は徹夜で仕事をしている、この事実を知る人は「やっつけ人間」を決して許すはずはありません、むしろ恨みさえも覚えるでしょう。
「一事が万事」で不正確な業務をするという烙印を押された人と一緒に苦労したいという人は皆無です、何故なら不必要な業務を結果的にやらされるはめになるからです、事前事後確認を怠り、でたらめに重要な組織の公務を右から左へと流れ作業で私物化するような人は他者の協力など得られずはずはなく何をやっても上手くいかないのは至極当然の結果です、「一つの事象は人生全ての縮図」です、これが「一事が万事」という格言の本質です。
2024年7月 2日 06:00
姿勢の伴わない言葉ほど相手に対して根拠も示せず説得力が無いものは他にありません、だから常に一緒にビジネスを行う仲間にはこの姿勢の重要性を説いています。
ここで時々感違いを起こす人もいます、それは姿勢という見えない概念を物理的な目に見えるポーズ(振る舞い)で応えようとする人です、姿勢とは目に見える行動や行為などの物理的なものではありません、姿勢とは生き方や心持ちをベースにして他者への思いやりや配慮などの本心からの気遣いをいうのです。
もっと言えば「信頼関係を保証する心の契約を行う」ということです、その覚悟や心意気を姿勢といっても過言ではありません、そういう意味では姿勢の意味を真に理解して真摯に姿勢で応えられる人にはどんな自己犠牲を払ってでも守ってあげたいと思います、それが私の思う真の信頼関係であり血が繋がっていない他人であっても真の身内なのです。
だから「姿勢を改めます」とか「姿勢を正します」などと簡単に姿勢という言葉を使ってほしくはないのです、姿勢とは極めて重い意味を持っているのですから。
姿勢の真の意味を悟るには自分と自分の周りの見えるものしか見ていない表面思考の人にはとうてい理解することができない神の領域に存在する代物だと思います、経験を積むと他者の言葉は一切信じなくなるのです、何故なら言葉は必ず嘘をつきます、でも見えない姿勢は嘘をつかないのです、否つけないのです。
他方で「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」という言葉があります、これは表面的な言葉や表情は丁寧で穏やかでも相手に失礼な言動や振る舞いを行うことを意味します。
例えば指導している最中に話しを遮るような頷きや高笑いや意味の無いつっこみ発言などは慇懃無礼の代表格の一つです、結局その時に指導した事項が守られることはありません、なぜなら全てが表面的な拒否反応の一つであり真に理解しようとしたくないという心理の表面化現象だからです。
その人の姿勢を心の目で観て測れば人はいったい何を隠すことができるでしょうか、そして常に言葉やポーズだけで何時までも姿勢を改めない人とはやはり同じ目標に向かって歩むことはできません。
私は時々どこかでそんな貯め込んだストレスが一瞬の些細な出来事をきっかけにして大爆発を起こしてしまうのです、私はきっと何歳になっても他者の姿勢の問題に関しては耐性が無いのだと思います、事業全てが吹き飛ぶような大失敗をしても笑って見過ごすことができるというのに、どうも心で嘘をつき自己利益欲しさに近寄ってきたり何かを得ようと虎視眈々と目論む人を看過することはできないようです。
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