世の中には過去に囚われている人が多いなと感じる今日この頃です、数年来の某国との諸問題は民族的な過去の恨(はん)によるものだと多くの識者が口を揃えて言いますがその民族にはその民族の人でしか理解できないものがあるように思います。
また口癖のようにトラウマを口にする人も昔に比べて多くなった感がありますが、その多くは嫌なことからの逃避目的で口実にしているのではないかと思えることもあります。
トラウマにしても恨にしても本当に精神的な苦痛や民族意識での話であれば理解するように努めるしかないのですが自己利益や政治的な思惑で公言しているのであれば大きな信頼失墜に繋がると思えて仕方ありません、何れにしても過去に囚われて未来志向で行動できない人に明るい未来は無いのではないかと思います、時間は未来にしか進めないのですから。
少なくても私は「過去」という言葉自体が大嫌いです、そして他者の過去にも興味ないし自身の過去の成功や栄華を誇ることもありません、重要なのは今そして未来です、そもそも今の状況に幸福感を得られず未来の夢の実現や希望にも確信が持てない、だから何時までも過去を意識してしまうのではないでしょうか?
仮に今が幸福の絶頂なら過去を思い出しても振り返らないと思うのです、どんな状況であれ今があることに感謝し幸福な人生を送るためにも明るい未来を信じて前向きに生きるべきだと思います、そして嫌な過去や縁を切りたい人のことは振り返るのではなく法的手段を講じても綺麗に清算して本当の意味での「終わった過去」にしてしまうことです、それが精神的断捨離というものだと思います。
1リットルの0度の水と1リットルの100度の水を合わせると、
2リットルの50度の水ができることは誰でも解ること。
では0度の水を0度の氷に変えたらどうなるか?
これを実際にやってみると2リットルの20度の水になる。
氷が解ける際に多くのエネルギーが消費されるからだ。
これを物理学の世界ではエネルギー不変の法則という。
水は凍るときにエネルギーを放射し液体から固体に変わる。
溶けるときにはエネルギーを消費し固体から液体に変わる。
人間関係も同様に机上の空論だけでは把握できない事実が多々起こる。
人間の行動には予測不能な多くのパラドックスが潜んでいるからだ。
このパラドックスを事前に把握できるか否かで結果が大きく変わってくる。
どこで誰と繋がり関連することで現在の状況が形成されているのか。
これを無意識に思考できるようにならなくては、
人間関係も人生設計も机上の空論であり儚い夢で終わる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
その立場にない者の言動ほど無責任なものはない。
責任を負わされるのは、
それを信じて行動した素直な他者であることを心すべし。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
言われる側の身にもなれというなら、
言わなくても良い事を言う側の辛さを理解すべきだ。
自身を理解して欲しいと思うなら、
他者を理解したいという姿勢をまずは見せるべきだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
ときどき耳にする「トナラー」という言葉ですが他者との距離を物理的に取れない場合に作動する心理作用である「没人格化」を任意にコントロールできない人を指して用いる言葉のようです、「没人格化」とは例えば混んでいる電車などでは身体がくっつくほどの状況下でも両隣りは人間ではなく物であると脳が認識し自身が座る行為を優先させることなどをいいます。
電車のこうした事実は普通では有り得ないことです、これが公園のベンチであれば変態と認識され通報されてしまいます、これが「没人格化」という本能にも似た脳の機能がなせる技です、そして「没人格化」を電車がガラガラなときにまで無意識に発動させてしまうのが「トナラー」という人なのです。
皆さんも経験していると思いますがレストランや居酒屋でガラガラなのにわざわざ隣に座るグループや駐車場でガラガラなのに隣に駐車させる人がそれに当たります、やられた方はよい迷惑です、仕事上やプライベートでの他者に聞かれたくない話しもできないし駐車場では傷でも付けたら厄介な事になります、それ以上にパーソナル空間を犯された気分になり不愉快にさせられてしまいます。
まだ混んでいる状況であれば当然のこと「没人格化」が機能して我慢できますがガラガラ状態でこれをやられるとストレスがマックスになります、更に男性はよく解ると思いますが駅などの公衆トイレでこれをやられると危機意識さえも生じてしまいます。
このような「トナラー」の人とはいったいどんな心理によってこういった行動をとるのでしょうか、実はこれを研究した社団法人があったのです、その社団法人の出した答えは「不安感を払拭し安心感を得る為」なのだそうです。
初めてのレストランや居酒屋では勝手知りません、どんな種のお客さんなのかどのようなサービスなのかわかりません、そこで先に来ている人の隣にあえて座り周囲に「団体だからね」という暗黙のサインを出すことによって自身の不安感を払拭させ安心感を得ようとする深層心理だというのです。
解らなくもないのですが「トナラー」はハッキリ言って迷惑です、他者依存せず初めてのお店でも「孤独感」という何とも言えない微妙な不安心境を大いに愉しんで頂ければ幸いです。