多くの人は一定のリズムと生活スタイルを保って日々活動していると思います、朝起きたら歯を磨きシャワーを浴びて着替えをしテレビを視ながら朝食を食べ出勤しているのではないでしょうか、そして一週間という単位で休みや行事のリズムを作っていると思います。
この日々繰り返される習慣が脳の老化現象を起こす最大の原因となるルーティングであることに早期に気付いてほしいのです、同じことを繰り返したり一定のリズムを保って生活しているときには脳はほとんど使われることはありません、つまりこれが「習慣」という脳の合理化現象なのです。
更にオフィス作業や休みの日の過ごし方も同じ事を繰り返すルーティングとなると、おそらく1ヵ月もしないうちに脳は新たな事を考えることをしなくなってしまいます、これが脳の老化現象を招く最大の要因なのです。
脳が老化している状態で環境変化やカルチャーショックを受けた場合には有り得ないミスや言動を自覚が無いままに発作的に起こすようになります、変化を受け入れたいという気持とは裏腹に無意識にその変化に翻弄されるようになるのです。
これがビジネスともなると割り込みや突発的に起こる業務に敏感に反応し周囲との人間関係が悪化し孤立していきます、そして業務フローを自分の都合とペースに合わせて作り変えてしまうような保身行動を起こすようになります、つまり自分は自分なりに必死にやってます感を周囲に示すのです。
ただこれもまた周囲との大きなギャップを生むのですが気付いていないのは自分だけなのです、更には責任を取らなくてはいけないことから逃げるようになります、最後には自分の殻に閉じこもるようになり周囲に何かの変化が起きても気が付かない振りを決め込んでしまいます。
また新たな課題に対しても積極的に向き合うことを止め、どうしたら避けて通れるかだけを考えるようになります、報告や相談すべき事を開示せず自ら進んで動くこともなく誰かから促されるまで自分の中だけに留めるようになります、情報開示すれば新たな業務が生まれる事を無意識のうちに避けているのです。
お金に関しても使うことよりどうすれば使わずに済むかという全てにおいて保身とマイナス思考が先行するようになります、変化や減少することに神経を尖らすようになったら脳の老化現象はかなり進んでいることを自覚することです。
これを防ぐには私生活でのルーティングを一切止めることです、朝起きたら毎日違う順序と方法で出勤準備を行い通う道も乗る電車の時間も可能な限り毎日替えるのです、日々新たな発見や疑問を意識すること、この継続によって脳は徐々に正常に戻っていくのです。
またお金は使ってこその価値媒体であり使うから増えるという経済循環思考で考えることが肝要です、最初のうちは出る一方ですがある瞬間から急激に入るお金が増え、そのうちこれまでの投資を上回るお金が入ってくるようになります。
自らが積極的に経済循環活動を行うようになればそれに伴って周囲もその人に優先してお金を回すことを考えるようになるからです、経済循環活動を止め自身のお金だけを考えるようになれば当然周囲もその人を経済循環から外します、したがって減ることはあっても増えることはないのです。
変化とリスクを自ら積極的に愉しめるようになったら脳は活性化し若返りを果たしています、そしてその結果において今を大いに愉しめ幸福感を感じるようになるのです。
脳の老化現象は健康や美容にも大きな害を及ぼします、最も怖いのが脳内ホルモンの分泌異常による精神的疾患と皮膚疾患でしょう、今からでも遅くはありません、ルーティング生活を即止めることをお薦めします。
右効きの人は普段左腕を強く意識することはない。
でも五十肩になった時は強く意識するようになる。
五十肩とはよくできたもので、
左右でタイミングをずらして痛みのピークが現れる。
通常それぞれの傷みは約1年で自然に収まる。
右利きの人は右腕が使えない方が不便だと考える。
不思議なことに実際は左腕が使えないことに不便を感じる。
左腕とは意外にも無意識に各所で使っていることに気付く。
普段意識しない方が失ったときには強く意識するようだ。
これは人や物に対しても同じでなのではないだろうか。
「いつまでも在ると思うな親と金」
本当に鋭いことを的確に言い表した格言だと思う。
「親」とは人の縁や支援を「金」とは財産や経済基盤を指している。
これらを全て失ったときに一人で生きていけるだろうか?
「本来大切にすべきものを忘れていないか」という教えである。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
「パラドックス」とは数学や物理学で用いられる言葉であり多くの仮説から一つの解を導くときの勘違いを定説化した概念です、この概念は天才科学者ラッセルの文学的論文によって世に広く知られるようになりました、「一見正しそうに見える仮説と一見正しそうに見える推論から正しくなさそうな結論が得られる」というもので、この正しくなさそうな結論のうち本当に正しくない結論を「パラドックス」と言います。
この「パラドックス」ですがビジネスや人間関係にも実に見事に当てはまるのではないかと思うのです、特にITビジネスには多くの「パラドックス」の罠が存在しており「パラドックス」により大きな致命傷を負うこともあります、人間の感性を機械で代用すること自体が既に「パラドックス」と言っても過言ではないのです。
経営では事業計画がこれにあたります、この法則のように「パラドックス」が結果として現れることが実に多いのです、人材・予算・行動・成果などを考え全てが正しそうな仮説と正しそうな推論によって形にしたものが事業計画です、そのほとんどが途中で修正されるし修正に修正を重ねたものでも結果として得られるほとんどが「パラドックス」となります。
計画性を最重視した上場企業でさえも年に4回も修正報告がなされているのを見れば解るでしょう、ベンチャー企業においてはほとんどその意味を持ちません、作成する意味をここで云々しているわけではありません、あくまでも計画と結果は常に「パラドックス」だということです。
物体や物質など本来は固定し不変のものと仮説・推論されるものでもひと時も同じ状態というのがないのが現実社会です、まして量子や宇宙に関して言えば瞬間だけを取り上げてどんなにすぐれた仮説・推論を繰り返しても結局最後には「パラドックス」となるのは当然のことであり不思議でも何でもありません。
更に定期的な行動を一切しない生命体(例えば人間)に関していえば全てが「パラドックス」と言っても過言ではないでしょう、「自分が判らない」、「あの人が判らない」、これは至極当然のことです。
そもそも個性や性格とは何でしょうか、常に見せる表面的な性格は氷山の一角に過ぎません、多くの部分は無意識の領域であり氷山で言えば見えない海の中なのです、その見える部分だけで自分や他人の性格を決めつけ付き合おうとしても何かの拍子に見えない部分が出てきて一瞬にして「パラドックス」化してしまうでしょう。
言葉・文章・表面の性格を見るのでなくその裏に潜む心を見るようにしなければ人間の本質は判らないのです、社会構造の全てが人間関係で成り立っています、少なくても目に見える表面だけを見て仮説・推論しても意味が無いことだけは理解すべきでしょう。
人間関係で最も多い「パラドックス」は自分の知り得る範囲でその人の人脈や能力に財力などを見切ってしまうことです、その結果において争ってはならない人と争っては大きな損失を生んだり自身の成功の為に不可欠な人を遠ざけてしまったりしてしまいます。
冷静に周囲を見渡して観ると偏見や思い込みによって「パラドックス」の罠にはまっている人が実に多いのには驚かされます、そして万物に「パラドックス」の罠が潜んでいると仮定して事に当たるのが見えないものを具現化させるためのビジョン思考という極意なのです、人生を豊かなものにしたいのなら「パラドックス」をどう乗り越えていけるかが最重要課題となります、常に自身の結論を一旦は疑ってみることが一つの解決策になると思います。
「自分の考えは正しい」、こういう独善的な人が最も危険であり事を成す前から既に「パラドックス」の罠にはまってしまっていることを知るべしです、「自分の考えは間違っている」、こういう人は常に情報を開示し周囲と課題を共有化します、だから結果的に自身の責によるミスは起きえないのです。
持病で思うように動けない日から突如寛解し楽になる。
悩ましい我慢の日から愉しい毎日に変わる。
苦しい借金地獄から開放されお金が貯まるようになる。
人生には必ず好転へのターニングポイントが存在している。
重要なのはそれを信じてじっと天の時を待てるか否かである。
待っている間は決して流れを変えてはならない。
流れを変えた瞬間に全てが最初からやり直しとなる。
成功しない人は我慢できずに常にリセットしてしまう。
だから人生の好転機を無駄にしては同じことを繰り返す。
妙な拘りを持って生きている人が陥る「生き方パラドックス」がこれだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
人脈開拓に必死になる人は、
常に現状の人脈に満足していないからに他ならない。
たった一人の有益な人と信頼関係を構築さえすれば、
無理なく自然に有益な人脈が周辺に形成できる。
優先すべき事項が違うというはこういうことである。
これは全ての事項において言えることでもある。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。