持病で思うように動けない日から突如寛解し楽になる。
悩ましい我慢の日から愉しい毎日に変わる。
苦しい借金地獄から開放されお金が貯まるようになる。
人生には必ず好転へのターニングポイントが存在している。
重要なのはそれを信じてじっと天の時を待てるか否かである。
待っている間は決して流れを変えてはならない。
流れを変えた瞬間に全てが最初からやり直しとなる。
成功しない人は我慢できずに常にリセットしてしまう。
だから人生の好転機を無駄にしては同じことを繰り返す。
妙な拘りを持って生きている人が陥る「生き方パラドックス」がこれだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
人脈開拓に必死になる人は、
常に現状の人脈に満足していないからに他ならない。
たった一人の有益な人と信頼関係を構築さえすれば、
無理なく自然に有益な人脈が周辺に形成できる。
優先すべき事項が違うというはこういうことである。
これは全ての事項において言えることでもある。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
「絶対やる」と公言するのは立派だ。
ただし1年待っても何も変わっていないのなら、
更に10年待っても何も変わらない。
「絶対やる」と1度でも公言したら、
即日にも着手した事実を明確に示すことが肝要である。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
「ガラパゴス化」という言葉は2007年から使われだした記憶があります、きっかけは当時の日本の携帯電話方式の世界からの孤立を指していました、何故「2007年」というのをはっきり記憶にあるのかというと当時私の人生が一変した大きな出来事があったからです。
さて携帯電話先進国であった日本は高速且つ安全な独自の通信方式を幾つも構築していたのですが通信後進国の多くはアメリカで確立された方式をそのまま採用し通信網を構築しました、その結果において日本の携帯電話方式の全ての性能は桁違いに優秀なのに日本国以外では使えないものとなってしまったのです。
簡単に言うと日本の技術は超一流だったのですがグローバルマーケティングにおいてはアメリカに完敗したということです、これは何も携帯電話だけの話しではなく多くの先進技術事例でこういったことが過去繰り返されています、その孤立した状況を外部から閉ざされ独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の生物に例えて「ガラパゴス化した日本携帯電話の末路」と各国が揃って報道したのです。
これと同様の状況に陥っている人を時々見かけます、つまり思考と情報記憶が若い頃に固まりその人の中だけで頑なまでに存在し続け世間の情報から孤立している人です、例えば会計基準や会計諸表は常に進化しています、ここ最近では2018年頃に項目の名称や表示方法などが変更されました、しかしガラパゴス化人間にはそれが受け入れられず一人で新しい会計方式に対して文句を付けては勝手に変えようとします、これでは笑い物にされるだけで世間には通りません。
また思考そのものがガラパゴス化している人も見受けます、新しい事項全てにおいて覚えようともしないし必死に努力しても自身でも自覚するほど記憶に残らないのです、世の中の変化についていけないガラパゴス化人間はどうして新しいルールや情報を受け入れられなくなってしまったのでしょうか、ここには脳の個性以上に心理学的なものが潜んでいます、それは仕事やプライベートの順調さに加えて経済的余裕があった最も輝いていた若い頃の記憶です、それが唯一の誇りでありその記憶による当時の幻想をいつまでも引きずっているのです。
では何故いつまでも過去の一瞬の栄光に囚われているのでしょうか、そうです輝いていたのはその一瞬だけでその後は鳴かず飛ばずの自身でも受け入れられない失望状況が続いているからです、こういった無意識なる過去の記憶を消せない心理的要因によって脳が古い情報を記憶と共に固定化し新しい情報を記憶することを拒んでいるのです、したがってその日は覚えていても次の朝には忘れてしまうのです。
笑い話のようですが現実にこういう人と一定の頻度で出会いますから相応の割合で存在していると思います、長年変化しないルーティングワークだけで行える業務は別にして多くの場合自身が歩んできた道以外では一切活躍できない人です、確固たる過去の実績があるのに転職で失敗する人の多くがこのガラパゴス化した人間なのです。
「自分を変えたら生きていけない」とまで脳が自己擁護と保身心理に侵されています、自分一人で生きているなら問題ないのですがビジネスは必ず相手が不可欠なカテゴリです、ガラパゴス化人間は生きているだけで自分が思っている以上に周囲にストレスを与え、その弊害は極めて大きなものであることを自他共に認識する必要があります、早期に心理的要因を解かないと一生過去の記憶でしか理解できない情弱者で終わってしまうでしょう、ガラパゴス諸島を離れた瞬間死に至るガラパゴス諸島の生物と同様に。
現在はウルトラ級の多種多様化時代です、常に新たなブームが巻き起こりルールやインフラが次々と変化していきます、全ての生命体は過去の記憶の中には生きられません、未来を生きる為に現実を受け入れ進化させる勇気をもってガラパゴス化の呪縛を解くことが唯一の明るい未来を構築する方法です。
ガラパゴス化した人間は自分が正常であって世の中の人がおかしいと頑なまでに思い込んでいます、これを自身が間違っていると修正するのは極めて困難だと思います、ちなみに私がガラパゴス化人間と気付き必死に指導して見事に修正できた人はゼロです、恨まれる前に嫌われても離別の道を自ら選ぶように誘導するのが精いっぱいだったのです。
私は「愛」について語ることはありません、また「愛」という言葉を多用する人も好きではありません、何故なら「愛」は極めて重い心情の一つだと考えているからです。
「愛」という心情を重いものと感じるようになったきっかけは28歳で起業した直後に到来したバブル景気の頃に、社会に出てきたばかりの若造の私が技術と資金力にものを言わせて非情な同業他社に対するM&A(企業買収・合併)を繰り返していた頃です、その際に対象の法人経営者やベンチャーキャピタルから「愛が無ければ何事も上手くいきませんよ!」とよく言われたのです。
その意味を正確に理解するのにはかなりの時間がかかりました、逆にM&Aを仕掛けられた際に痛いほど自身の「愛」が無かった非情な振舞いを思い知ったのです、これまで味方だと思っていた身内が敵対勢力に寝返ったのですから。
ところで、「愛」という漢字は何を意味しているのかと気になって調べてみたら極めて重い意味があったのです、そのまま引用させてもらうと「旡・心・夂の組み合わせによる愛。旡は人間が後ろを向く姿、心は人間の心、夂は人の足を表します。つまり愛とは人がゆっくり歩きながら後ろを振り返ろうとする心情を表しているのです。」ということです。
愉しく過ごした後に別々の道で帰宅する際、一緒に過ごした人が「無事帰れるかな?」と心配になりつい後ろを振り向いてしまう、その人を常に気をかけている心情が表面に出る瞬間です、こういった重い意味のある「愛」を簡単に使えないのです、だから簡単に「愛」を使う人は物事を気楽に考える人であり信用できないと感じてしまうのです。
ただし私は言葉としては使いませんが冒頭のように心の中には常に抱えているところがあります、厳しいノルマを課せる際も非情に映る人事異動や退社勧告も全て必ず逃げ道やリカバリーの余地を残します、自らそれに気付いてほしいと思うからです。
ビジネスも自身の業務も、そして家族や同僚・仲間・取引先に対してこの「愛」が無い人は確実に孤立していきます、他者事を自分事よりも優先して思いやる心が「愛」という心情です、だから何事に対しても「愛」に欠けた人は絶対に上手くいかないのです。
思ったように上手くいかないのは努力や能力が足りないのではありません、自身の業務・職場・事業・商品・サービスに対して「愛」が無いのです、そして仲間や身内に対して自己願望を押し付けるだけで相手を思いやる「愛」が無いのです。
子曰く「それを知っている者はそれを好きな者には敵わない。それを好きな者はそれを愛する者には敵わない。私はいままでに人を愛するように生業を愛する者に会ったことがない」、実に深く重い教えです。