2024年7月28日 06:00
上手く誤魔化しているつもりだろうが、
世間はそれほど馬鹿ではない。
全てお見通しの上であえて大人の対応をしているだけ。
世間から見れば道化者に映っていることを早期に悟るべし。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2024年7月28日 06:00
上手く誤魔化しているつもりだろうが、
世間はそれほど馬鹿ではない。
全てお見通しの上であえて大人の対応をしているだけ。
世間から見れば道化者に映っていることを早期に悟るべし。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2024年7月27日 06:00
他者から評価されない正義を偽善という。
他者から評価されない正論を詭弁という。
他者から評価されない理由を言い訳という。
他者を優先するとはこういうことだ。
都合よいエゴなど世間には何の価値も意味も無い。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2024年7月26日 06:00
私は還暦を越えた辺りから毎年のように歯の治療を行っており、1本また1本と歯を失っていますが歯を抜いた瞬間は痛いのですが2度とこの歯が痛むことは無いという何か安心感というか爽やかな気持ちになるのには驚きます。
私は幾つかの内蔵がありません、37歳の時に死亡率80%以上といわれる大病を患い消化器官の多くを失ってしまいました、その後考えたのですが逆に言えばその内臓に関する疾病に関しては癌などのリスクが皆無だということです。
おかしな話なのですがこう考えると何か前向きな気持ちになります、何故ならそれに関連する疾病を一生涯恐れずに過ごせるからです、家を持てば災害や融資担保などで失うリスクが付きまといますが無ければそんな不安も無いわけです、車も同様に持っていなければ事故の心配も故障で失うリスクも無いのです。
お金だって手元にあるから失う怖さが生まれます、私のように出資や貸付金としてグループやパートナー法人に預けておけば特別な事情を除けば債権を失うことはありません、状況とタイミングをみて必要な時に回収することができます、事実昨年から毎月少しずつ回収に入っており年金を貰っているかのように口座残高が日々膨らんでいます。
結婚も同じことで結婚した瞬間に離婚や親族内トラブルに家族の怪我病気などを心配するリスクが生まれます、こういったことに気持や時間をとられることで仕事に専念できないというデメリットが発生します、こう考えると持つメリットよりも持たないメリットの方が大きいと感じるのは私だけでしょうか?
下手に何かを持てば必ずリスクを抱えます、個人情報などの情報も含めて「不安要素は持たない方が良い」と考えるのと前向きな思考に変わるように思えます。
極論として私はそもそも得たもの全てが「生まれた時には持っていなかった」ものとして考えるようにしています、こう思うことで不思議と心に余裕が生まれます、経済的余裕に加えて精神的余裕ほど生きるのに楽な状況はありません、ただし私のように無人島でたった一人残されても毎日を愉しく過ごすことができるという考えの人であればという話ですが。
2024年7月25日 06:00
昔から嫌う言葉に「論破」というのがあります、いい歳の人が使うならまだ大人の対応もできますが若い人でも口達者な人は自慢するつもりなのか使いたがります、この「論破」の何が嫌いかと言うと「論破」を意識している人は必ず話しをコロコロとすり替えるからです。
会話の中で争点や論点が意図的に変わります、正確な真実を得て判断することを信条としている私にはとても耐えられる会話ではありません、そこで決別を意識して沈黙に入るのですが何を勘違いしているのか「勝った」とばかりにニヤッとします、論破したと思っているのでしょうが私は「これ以上話しても無駄だから早々に離別しよう、ならばあえて嫌な会話は避けて恨まれないように沈黙を決めよう」と考えているのです。
こんな人とは信頼関係を絶対に結べないし早々に手を切ることがお互いのためです、ビジネスにおいて重要なのは立場や責任ではありません、重要なのは真実が何かです、経営とは真実を分析して次の最善の策を練らなくてはいけないのです。
にも関らず自身に責任が及ぶことを警戒しているのか事実を探られるのを嫌がり話題をそらそうと必死です、まあ潔くない態度にあきれます、まして還暦を越えた私と同年代の昭和の男であれば虚しさと怒りが込み上げてきます。
全てを自分の責任として受け止めなければ政治家なら国民が、経営者なら社員や取引先がついてくるわけがありません、自身で決断した結果責任を全うできないのであれば自から潔く退いてほしいと思います、真実を追求せずに話しをすり替える人に重要な立場を任せられません、例え自身に責が及ぼうが事実を正確に話せない人とは1秒たりとも関り合いたくないのです。
2024年7月24日 06:00
人間の行動心理で実に面白い事象があります、その一つに名称の定義こそ在りませんが行動内容から私は「事後検証」と称しています、これはどのような行動心理かといいますと「自分が判断して行動した事項を後々にそれが正しかったかどうかを確認する」という行動を無意識にとってしまうというものです。
例えば社員だった頃は自社のホームページを見ることすらしなかった人が退社後に会社がその後どうなったかが気になってホームページを常に見るようになります、また縁を自ら切った人がその後どうなったか、買おうとして買わなかった金融商品の価格がどうなったかなど、自分の判断が正しかったかそれとも間違っていたのかと判断行動した後に猛然と気になってしまうのです。
私は過去からこういった行動心理を目の当たりにすることが多々あります、自ら縁を切ってきた人が突然メールなどで連絡してくることがあります、そのメールには「ホームページを見て元気かなと思って連絡しただけです」とあります、「元気にやってますよ」と返信すると「それなら良かったです」だけでやり取りは終わってしまいます、わざわざ連絡してきたからには何かあると思うのですが特にこれといった進展はありません。
ただ気になっているのだなということだけは伝わってきます、こういった人は一人や二人ではありません、縁が切れた後まで未練がましく気にするくらいだったら新たな関係を構築しようと試みればいいのに何故かできないようです、否自分の判断したことが過ちだったことを認めたくないのでしょう。
人の心理とは思った以上に複雑で深いなと思うことが多々あります、私はというと自身の判断で行動したことは全てが自身の責任だとして受け入れます、だからどのような結果が起きようとも後ろを振り返ることはありません、つまり終わったことはその後どうなったかもまったく気にならないのです、その事実は最初からなかった事として次の新たなるステップに既に進んでしまっているからです。
過去を振りかえったところで戻れるわけはないし、できることはあくまでも未来に起こる出会いと出来事しかないのですから、ただ私は過去に去った人を何度も受け入れてきています、それは未来に開かれた新たな出会いだと認識するようにしているからに他なりません。
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