2024年9月14日 06:00
人を測る視点と視線を変えれば、
悪人が善人に、善人が悪人に一瞬で変わる。
人を測るときは視点と視線を変えて360度で観ることだ。
人物だけではなく全ての事象についても同様に。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2024年9月14日 06:00
人を測る視点と視線を変えれば、
悪人が善人に、善人が悪人に一瞬で変わる。
人を測るときは視点と視線を変えて360度で観ることだ。
人物だけではなく全ての事象についても同様に。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
2024年9月12日 06:00
従心期になりようやく物事の本質が理解できるようになった。
例えば「正義」は曖昧なものであり流動的に変化するものである。
戦争状況下では敵を多く殺したものが英雄として讃えられるが、
平和な時代ではただの大量虐殺者である。
「正義」とはいったい何なのであろうか。
孔子の「人として正しい道を歩め」という「義」の教え、
時代背景と使う人によっては意味が180度変わることになる。
ローカルな価値観はグローバル時代には通用しない。
ある人にとっては正しいことが、
ある人にとっては正しくないことは多々存在している。
「正義」の流動性は固執することで立場を危うくすることもある。
価値が揺れ動く時代には「正義」の価値観も激しく揺れ動き、
それぞれの人に無限に存在しているものである。
「正義」とは固定概念ではなく流動的なものとして意識することだ。
そして個々人に合わせたそれぞれの正義が存在している。
これだけを頭に入れておけば、
意味の無いストレスを貯めることもなく、
不要なトラブルに見舞われることもないだろう。
平和に暮らしたければ自分の正義を振りかざすべきでない。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
2024年9月11日 06:00
学びの本質は真似ることから始まる。
「学びの語源は真似る」だという説もある。
大いに他者を真似て学ぶがよい。
ただし熟考してほしいことがある。
それは他者を真似ているうちは未熟だということだ。
未熟故に他者の良いと思った所を無意識に真似てしまう。
これが未熟者の深層心理であり根拠でもある。
逆に他者に真似されるようになってはじめて成功者と言える。
他者に真似されたら大いに喜べばよい。
自分のやっていることが正しいと認められた瞬間なのだから。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
2024年9月10日 06:00
どんなものでも貯め込んでしまう人がいる。
行うべき債務も後回しにしては貯め込んでいる。
逆にお金だけは貯めることができないようだ。
その理由は極めて明確である。
捨てるべきものを捨てるべきときに捨てないから。
行うべきことを行うべきときに行わないから。
流石にお金も山と積まれた債務を見たら一目散に退散するだろう。
そして何でも貯め込む人は負のエネルギーまでも貯め込んでしまう。
これでは何もかもが上手くいくはずはない。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
2024年9月 9日 06:00
昨今不要になった法人をどんどん解散している。
祖業法人の解散決意は流石に周囲も驚いた。
更にはメイン事業法人の代表交代を進めている。
この裏にあるのは隠居の準備に他ならない。
同じ行為なら枠外でサポートするのが気楽でいい。
いろいろな意味で拘束されずに自由奔放にやれるから。
若いときから格式やルールという枠が大嫌いだった。
報酬を貰えば義務と責任が生まれ束縛される。
これらは隠居する身には重荷になるだけだ。
起業する前は独自の事業など何も持っていなかった。
隠居の時も収益事業を何も持たないのが心地良い。
日々淡々と道楽ビジネスに明け暮れて、
残りの余生を思う存分に愉しむのが理想郷というものだ。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
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