戦いにおける攻めの方法にも陰陽2通りあります、孫氏兵法に「火で攻めるは愚者、水で攻めるは賢者」とあります、「火で攻める」とは火を使って攻めることではありません、これは陽の攻めを意味しており直接的に武器を使って攻めることを示しています、「水で攻める」とは水攻めや水を絶つことではありません、これは陰の攻めを意味しており精神的に相手を追い詰め降伏させることを示しています。
つまり、「火攻め」は陽の肉体を陽の武器を使って攻め「水攻め」は陰の精神を陰の見えない思考や心を使って攻めることです、豊臣秀吉は水攻めを多用しました、調略(内通者を使った謀り事)や敵城の真正面の山に城を作って(有名な一夜城)プレッシャーをかけるなど相手を精神的に追い詰めては確実に勝利をものにしました。
戦での水攻めは数年間という長期間に渡ります、長引く戦に織田信長が痺れを切らして自ら火攻めに転じて勝ち戦を負け戦にしてしまった歴史もあります、私は過去の事例から勘案すると自らの手を汚すことなく勝利を確実にしたいのなら絶対に水攻めが有効だと思います、それも数年かけてじっくりと策を確実に実行していくのが効果があります。
その場の感情で火攻めを行ったところでこちらにも被害が出るだけではなく一時的な勝ちはあっても長期で見ればまた相手も復活してきます、意外や効果が有るようで無いのが火攻めです、その点において水攻めは相手が気付かないうちに内堀を埋め退路を断ち周囲を包囲し確実に相手の戦力と戦意を奪うことができます。
もしも、誰かから「水攻め」を仕掛けられていると感じたら相手の怒りは相当なものだと思うことです、ただし気付いたときには時既に遅しとなっていることだと思います。
大学時代に日本が誇る天才物理学者の一人であった寺田寅彦の随筆を読んで感動してしまいました、その後寺田寅彦の書籍を次々と図書館で借りては徹夜で読みふけったものです、物理学を文学として解りやすくまとめた随筆の数々は私の思考に大きな影響を与えたのは間違いないところです。
また「形の科学」という自然界における生物と物理学を融合させた視点と発想には本当に驚き大きなカルチャーショックを受けました、そんな寺田寅彦は多くの金言を残しています、ここで私の心に刻まれた金言を幾つか紹介しましょう、私をよく知る人は私の思考の片隅にこれらの金言が存在していることを理解できるでしょう。
「疑うがゆえに知り知るがゆえに疑う」、「怪我を怖れる人は大工にはなれない、失敗を怖がる人は科学者にはなれない」、「最後の一歩というのは実はそれまでの千万歩より幾層倍難しいという場合が何事によらずしばしばある」。
そして常に私の思考の原点に在る金言が「災いは忘れた頃にやってくる」です、これは私がよく使う言葉の「上手くいったときほど謙虚になれ」ということに繋がる思考の根幹です、普通の感覚の人は思い通りになった時は慢心して警戒を怠ります、ここに魔の手が襲いかかるのです。
今しか考えていない人は常に同じことを繰り返します、自身の人生が常に行動によって枝分かれしていき一直線で未来には伸びていないことを解っていません、反省しない人は失敗人生の無限ループに確実に入り込んでいます、だからどんなに頑張っても失敗のループから抜け出せずに成功しないのです。
そんな人は常に淡い夢の中で生きているのかもしれません、「何時かは上手くいく」と淡い夢が現実のものになると思い込み、その思い込みによって脳が支配され正常に機能しないことさえ解らないのです、私にはそれが見えるから厳しくも手を差し伸べるのですが多くの人は「失敗人生の無限ループ」状態が慣例化してしまっているようで心地良いとさえ感じてしまっています、その結果において差し伸べた手を自ら振り払ってしまいます。
そしてまた人を変え手を変え品を変えては周囲に迷惑をかけ犠牲者を増やしながら同じことを繰り返すのです、救いようのない人は他者がいくら頑張っても救えません、救えるのは自身の自律した大人の冷静なる思考だけです、成功しない人は共通してこれまで培ってきた「上手くいかない思考」を擽られるのが極めて不快と感じるようです。
私はこういう人から多くを学びました、そして二度と成功しない人の思考を擽ることはしないでしょう、私も嫌われても恨まれることはしたくはないですから、そして成功しない人とどんなに深く関っても私には何の利益にも得にもならないことがこの歳になりようやく解ったのです。
他者の考えていることが解らなくて当たり前。
何故なら同じ視野で景色を見ていないからである。
山の麓にいて頂上の景色をいくら思考しても、
それは想像でしかなく本当の景色は解らないのと同じこと。
山の頂上からの絶景を見たいのなら、
先ずは何としても頂上まで登りつめることだ。
同様にその人の考えていることを真に理解したいのなら、
何としてもその人と同じステージに上がることだ。
意図する人の考えていることを真に理解したいのなら、
その人と同じ視野で同じ景色を眺め思考することが必須条件だ。
そこではじめてその人の眺めている景色の全容が理解できる。
※従心(じゅうしん)とは、孔子論語の「七十にして心の欲するところに従えども矩 (のり) をこえず」という節を起源とする70歳代の呼び名である。
自分と家族の生活を優先する。
それは当たり前なことであるし誰も否定はしない。
ただ一緒に苦労したい人だとは思わない。
何故なら仲間の利益を優先してくれないからだ。
結果的に仲間の利益を優先しあえば、
自分と家族の生活が潤い守ることができるというのに。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
一つの学問を学ぶと全ての事項をそれに関連付ける。
これをやっていると思考が硬く狭くなる。
学問とは解を得るための一つのツールに過ぎない。
同じ事象でも物理と数学の視点と解が異なるが如し。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。