「出る月を待つべし、散る花を追うことなかれ」
江戸時代の朱子学と陽明学の天才学者である中根東里のこの言葉は、成功の金言と言っても過言ではありません。
「過ぎてしまった過去に未練を残さず新たなる未来に起こる創造に備えるが尊い」、何時までも終わってしまったことや結論の出てしまった事に囚われていては先に進むことはできません。
終わったことは忘れて新たなる世界で新たなる出会いを楽しむことです、一度は関係が終わってしまった人も未来で互いの過去を修正し新たなる良き出会いとして生まれ変わるかもしれません。
それが真の「再会」というものであり成功者の重要な未来思考でもあります、だから終わらせ方を間違えると未来において遺恨を残します。
終わらせ方の上手い人、これもまた成功者なのかもしれません。
昼が「陽」なら夜は「陰」。
「陰」は闇などのダークなイメージが付きまとう。
でも夜しか見れないものも沢山ある。
星も月もオーロラも、夜しか咲かない花もある。
同じ景色でも昼と夜ではまるで別世界。
見ようとしなかったものや考えもしなかったこと。
そこに成功への大きなヒントが隠されている。
見えているものだけが真実ではない。
見えてなかったところに本質が隠されている。
「陽」と「陰」は同次元に在る同位体である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
ご存知「ウサギとカメ」の話。
ノロノロ歩いていたカメにウサギは「どうしてそんなに歩くのが遅いんだい?」とイヤミたっぷりに聞きます、するとカメは「じゃ、あそこの木の根元までどちらが先に着くか競争しよう」と持ちかけます。
ウサギは笑いながらその競争を受けました。
ウサギは木の根元近くまで来て後ろを見ると、カメはまだスタート地点でノロノロしています、そこで勝ちを確信したのか寝てしまいます。
その間に、カメは木の根元にたどり着きカメがウサギに勝ったというお話です。
この物語の元々の題名は「ウサギとカメ」ではありません、正確には「油断大敵」という題名です。
これをクイズに出したテレビ番組がありました、ところが回答が実に面白いのです。
約60%の人は正解でした、ところが不正解の人の回答に私は非常に興味を持ったのです。
それは「一念発起」とか「やれば出来る」などです、そうです不正解の人はカメの立場でこの物語の題名を考えたのです、正解者はウサギの立場で考えたのでしょう。
同様に刑事ドラマではほとんどの人は主人公の刑事の目でドラマを見ていますが、犯人の目で見たらこのドラマは全く異なるドラマになってしまいます。
怖い刑事が執拗に一市民を追いまわし捕まえるや暴力行為の数々、なんて酷い刑事なのでしょう。
桃太郎のおとぎ話も鬼の立場で考えたら全く異なる物語になります、人間から離れ小さな島で平和に暮らしている鬼のところへ桃太郎という悪漢がやってきて腕力で平和を乱し宝物を奪って行ってしまったとなります。
このように同じ状況で同じ事象でも、誰の立場での視点で考えているかで「善悪が逆転」してしまいます。
そして怖いことにこれは人によって千差万別で微妙に捉え方が違います、世の中の善悪や正義とはいったい何なのでしょうか?
立場変わればもしかしてあなたの常識や正義は逆転しているのかも知れません、これは人への判断でも同じことです、誰が善人で誰が悪人なのか?
少なくても、他者から齎された情報に翻弄されずに自身で視点を変えて360度でロジカルシンキングを繰り返し、更には実際に自身の目で物事や人を観て判断することが肝要です。
つまり私が「常に他者の気持ちに敏感になれ」と口を酸っぱくして言うのはこういうことなのです、これができてはじめて成功者への道が開けるのだと思います。
特に人に関する判断ミスはビジネスでは致命傷となることが多々あります、そして如何なる状況もロジカルシンキングにおいて立場を変えて考えることで本質が見えてくるのです。
だから、ロジカルシンキングしている人は人間関係においても失敗することが無いと思うのです。
人は何を見て人となりを量っているか解らない。
周囲に誰もいないときほど振舞いに気をつけることだ。
自身の行動は誰かに必ず見られていると思うことだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
こちらから何も聞いてもいないのに、
自ら自身のことをあれこれ話す人。
相応の思惑か後ろめたいことがあるのだろう。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。