10年ほど前から経済格差やデジタル格差などが顕著になり昨今は二極分化の時代がより鮮明になってきている感があります、事実日本の世帯資産や世帯収入もこの傾向が強まってきています、つまりお金持ちはどんどんお金持ちになっていくのです。
ちなみに日本では金融資産を含めた資産1億円以上を富裕層として捉える向きがあり、事実として保険や証券・銀行の顧客サービスでの「ウェルシークラス(富裕層)向けサービス」の目安ともなっています。
では日本には資産1億円以上の世帯はどのくらい存在しているのでしょうか、2020年の調査では約133万世帯となっています、ちなみに現在よりもはるかに景気が良かった2010年は81万世帯ですから、やはり二極分化が進んでいるという根拠がここにも見てとれます。
133万というと多いように思えますが日本の全世帯数は現在5,400万世帯ですから2.5%に満たないのです、また資産5億円を超える超富裕層の世帯数は約9万世帯で0.17%弱と極端に少なくなります、これは他の国に比べると日本には超富裕層が極めて少ないことが解ります。
ちなみにマスクラス(大衆層)と言われる資産3,000万円以下の世帯数は4,215万世帯で78%を占め、その上の資産3,000万円~5,000万円のアッパーマスクラス(上流大衆層)を含めると実に92%となります。
ただし上記はあくまでも申告されたデータでの集計です、日本人は控えめに出す傾向がありますので正確な数字は解りません、また隠し財産(タンス貯金など)は世界一だというデータもありますので正しく把握することは困難かと思います。
ここで資産というのは数字だけの問題であり、例えば相続などで得た売るに売れない自社株などの金融資産や使うに使えない山林や農地などの不動産資産も含まれます、したがって実際の裕福度とはまったく異なるということを理解しておく必要があります。
極端な話が処分できない資産だけは保有しているもののまともな生活もできずに苦しんでいる世帯が実際に多数存在していると思います、ちなみに農地は農地法によって勝手に売ることができません、また法律が変わり三世代までしか相続できません。
更に相続すれば使っていなくても固定資産税が毎年かかります、かといって農地だけを相続放棄することもできません、放棄するには全財産の放棄をしなくてはならないのです。
下手に資産が在って苦しむよりも、資産が無くてもしっかり収入を得て自由にお金を使い悠々自適に生活できているのが本当の意味でのウェルシークラス(富裕層)の人だと思うのですが如何でしょう。
「誰も一夜にして肉体を鍛えようなどとは思わないだろう。 それなのに、こと精神に関してはすぐにも効果が現れるのが当然だと考える人が多いようだ」
米国の心理学博士であり、現在でも多くの代表的著書を購入できるので知る人ぞ知る心理学の権威ウェイン・W・ダイヤーのこの一言は実に深いものがあります。
何事もステップアップするにはプロセスというものがあります、肉体もそうですが精神はそれ以上に成長させるためにはプロセスを踏まないと極度のカルチャーショックや情報混乱によりパニックすら起こしかねません。
学問なども同じことで聞いたり読んだだけでそれを理解したかのような錯覚を起こします、したがって用いようと思っても何も言葉にも出てこない、そして何も活用できずに何を学んできたのかと自失の念に陥ります。
これは当たり前です、本当にそれを理解し体得するには表面意識にある情報を無意識の記憶領域に落とし込む必要があります。
無意識の領域の記憶情報は、表面意識で考えなくもそのシーンが現れると自然に言葉や行動に出ます、これが体得という代物です。
自転車をどれだけ練習しても乗れなかったのに、一度でも乗れると今度は長年乗っていなくても身体が覚えていて何時でも乗れます、精神的なこともこれと全く同じなのです。
成功する人は学んでそれを試してみなければ価値の無い知識であることを解っています、成功も同じことで学ぶだけでは全く意味がありません、体得すればどんなトラブルでも慌てず考えることもなく次の一手が自然に打てるようになるのです。
自分の中に何人もの自分がいる。
少数意見に多数意見といろいろな自分がいる。
さて、どの自分が最終決断しているのだろうか?
例えどんな結論が出てもそれはやっぱり自分。
人間とは自分の考えも纏められない生き物である。
他者の意見を纏められないのは当たり前だ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
ロジカルシンキングを行っていると何度も何度も大きな壁にぶち当たることがあります、突破しようと思考を巡らすのですが更に別の大きな壁が現れてしまい、結論がどんどん別の方向に行ってしまうこともあります。
所謂、収拾がつかない状態に脳が陥るのです、そんな時のリフレッシュ方法としては幾つか有りますがその一つに「温故知新」という私なりの方法があります。
これを一つの「キーワード」として思考がもつれた時に思い起こしては同類の古きネタを調査します、「温故知新」とは古くからあるものを新しいものに応用することを言い意外と効果を発揮することがあります。
例えば私の場合は職業柄IT技術のロジックの壁にぶち当たることがあります、ロジックの壁とは意図した機能をどのようにして処理させるかというアルゴリズムに関する未解決問題です。
その解決方法として廃れた技術を再度検討してみるのです、ただし廃れた技術を果敢に蘇らせようというのではありません。
一つには何故その技術が廃れてしまったのかという精査、もう一つはロジックを組み直せば別の用途に使えるのではないかという新たな発想です。
事実「温故知新」によって障壁を壊すことができ、新たなアルゴリズムや技術特許が生まれたことが何度もあります。
先人の知恵とは凄いです、ただその当時は時代に対して進み過ぎていたのです、つまり時期尚早というものです、そう考えると「温故知新」による思考の精査は極めて効率良い方法だと思うのです。
どうしても勝つことができない相手。
そういう人とは競い合わなければ上手くいく。
未熟な人間ほど無意味な競合を好む傾向にある。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。