新型コロナパンデミックもマスク解禁から半年も経とうとしている昨今ではようやく恐怖心も薄らいできた感があります、今更ながらにあの3年間はこの先にどんな意味があるのだろうかと考えることしばしです。
大災害や大事件などでも人々の心理的影響は長くて1年ほどです、それが3年ともなれば各所で大きな変化が現れてくるのは必至です、既にその予兆も出始めています。
重要なのは予兆を感じ取るセンシング能力ではありません、勿論これも一般的な人よりもセンシング能力に長けている人はチャンスに恵まれる可能性が極めて高くなることは否めません、しかしもっと重要なことがあります、その最も重要なこととは予兆を掴んだら正しい方法を素早く見出し行動に移せるか否かです。
多くの人は予兆すら感じることはできません、そして予兆を感じ取っていても何も変えることもしません、その理由に多くの人が新型コロナパンデミック以前と何も変わらないことを継続させ生活スタイルも当然変えていません、つまり3年間をじっと耐え凌いでいたにすぎません。
生活を良くしたいとか好きなことをしたいとか多くの願望を持っている人ほど変化という大チャンスがきているのに何も変えようとはしないものです、これも心理学的統計どおりの結果となっています。
さて変化の予兆ですが私は各所で感じ取っています、そしてその予兆を敏感に感じ取っては幾つかの事業から撤退し新事業を興すなど行動を起こしています、2年ほど前には10年先のことを考えて新社まで設立してしまいました。
IT産業が興った際の女性の花形職業で一時期50万人以上もいたキーパンチャーは30年も前に絶滅しました、生成型AIの急速な発展により翻訳・文字起し・ライティング・レタリング・イラストレータや士業アシスタントなども今や絶滅危惧職です、この変化が当たり前になった時代に少なくても自分と身内だけは生きずらい状況にならないようにしたいと思います。
10月11日夜、プロ将棋士藤井聡太がついに前人未踏のプロ将棋全タイトルである八冠を制覇しました、プロ入りから連続29連勝という記録を塗り替えた頃から毎試合をリアルタイムでネット中継で観てきた私としては本当に感無量この上ありません。
そしてタイトル戦では現在18期連続勝利を収めており、現在開催中の竜王戦に勝利するとタイトル初奪取から1度も負け無しの19期連続となり将棋の神様大山康晴十五世名人(永世称号)と並ぶのです、そして年明け早々にもタイトルを防衛すれば前人未踏の初タイトル奪取からタイトル20連勝という大記録となります。
加えて優勝者が持ち越されるタイトル戦ではなく毎回優勝者を決定する棋戦が4つあり、この4つの棋戦でも現在全棋戦で優勝しておりプロ将棋のタイトルと棋戦全てを独占するという異常事態となっています、将棋連盟のHPではタイトル保持者と優勝者を顔写真入で紹介していますが12枠全てが藤井棋士の顔写真となっています。
藤井棋士の師匠の言葉では「タイトル八冠は目標の一つでしたが、彼が目指すは全タイトルで永世称号(永世八冠)、そしてタイトル100期の大記録」だといいます、現在羽生九段が永世七冠及びタイトル99期という大記録を保持していますがタイトルゼロになってから止まったままですので順調に行けば12~15年後くらいには届く記録でしょう。
それにしても何故これほどまでに強いのか、世間では中学時代からAI将棋で鍛えぬいたことを話題にしますが理由の一つに過ぎません、何故なら今の若手騎手全員がAI相手に指して研究しているからです。
私がリアルタイムで観てきて思うに異常なほどの正確無比なる勝負勘だと考えています、そしてどんなに苦しい局面でも相手のミスを誘う手を打つ心の余裕、そして決して諦めない執念です、八冠の瞬間もAI予測では99%負けと出ていましたがただ捨ての銀打ちで相手のミスを誘いました、この1手で形成は逆転し一気に寄せてしまったのです。
プロ将棋は結局は結果です、どんな良い手を指していようが最後に負けたら終わりです、ビジネスもまったく同様です、交渉途中の善し悪しを評価しても意味が無いのです、ビジネス下手だと言われようが適当に振舞おうが結果には無関係です、結局経営者としての評価とは継続的に利益を齎し事業と社員の生活を守れるかどうかという結果だけです。
藤井八冠、今後どこまで記録を伸ばすのか毎試合が楽しみでなりません、そして私も大いに元気を貰って楽しくビジネスと道楽事に明け暮れしている今日この頃です。
アインシュタインは「大切なのは疑問を持ち続けることだ、神聖な好奇心を失ってはならない」という名言を残しました、更に「過去から学び今日のために生き未来に対して希望をもつ、大切なことは何も疑問を持たない状態に陥らないことである」という名言も残しています。
目的を達成し成功したいと思うのであれば常に疑問を持ち続けることが大事だと思います、ここで疑問を持つ際に前向きな回答を得られるように疑問を持ってほしいと思うのです、そうでなければ効果のない回答しか得られません。
例えば「楽しくするにはどうしたらよいか?」というのは疑問ではありますが期待に近い思考であり成功するための知恵が出てくるはずもありません、有効な回答を得るための疑問は「どうして楽しくないのか?」というように思考することです、これによって自身の欠点や障害が見つかります、要はまず自分の欠点や障害を取り除くことが重要なのです。
自分の欠点や障害を棚に上げておいて都合よく幾ら思考しても改善することなど何もありません、同じように「売れるようにするにはどうしたらよいか?」ではなく「どうして売れないのか?」、また「どうしたら便利になるか?」ではなく「どうして不便なのか?」なのです。
前向きで有効な「陽」の回答を得るには後ろ向きな「陰」の疑問を持つことです、これは簡単な計算でも解ります、「(-)×(-)=+」であるからです、つまりは自然の摂理そのものなのです、疑問の持ち方一つで解決方法も次元の違う回答が得られるのです、普通の人と同じ思考をしないためには普通の人と同じ疑問を持たないことです。
長い人生で染み込んだ生き方の資質とは恐ろしく頑固な染料だと思います、本業が軌道に乗りゆっくりできると考え始めた瞬間に次のやりたいことをまたぞろやり始めてしまっています。
5年前には封印してきた道楽事を複数同時に復活させました、不思議なことに身体が勝手に動いてしまった結果です、私の場合は物事を始めるきっかけに事前に何かを考えるということなど微塵もありません、すべてが自然に身体が動いてしまって気が付いたら形を作り資金を投入していたというのが事実です。
昨今の私は本業のオフィス拡張が完了した瞬間に別のオフィスを探し求めています、当然目的があるオフィスなのですが本業とはまったく異なる事業用です、ダイレクトに言ってしまえば新たな道楽ビジネスの拠点ということです、つまりラボ2号ということになります。
既に本業とは別に幾つもの道楽ビジネスを平行しているのに更にここにきて新たな道楽ビジネスを立ち上げようとしています、この瞬間がきっと自分が一番元気だという証拠なのかもしれません。
いつものことながら周囲の心配を他所にやりたいことをタイミングがくればどんどん行っていきます、周囲が思うほど自身は大変だとも思っていないし苦労も含めて生きている実感を「愉々快々」に愉しんでいるだけです。
人生はどんな人にも生を受けた瞬間に平等に一度だけ与えられています、この与えられし人生に悔いを残したくはありません、あの世に持っていけるのは何一つ無くて生きている間に何をしたかだけが天から与えられた人生の価値だと思うのです。
私は世の中に意味も理由もないことは皆無だと思っています、だから自分が行うことはすべてが意味も理由もあることなのです。
例えば私事ですがビジネス用に用意されたオウンドメディアに、他者から見れば絶対にプライベートだろうと思えるブログを突然のように立ち上げてマイペースに道楽記事を書いています、それが最近ではオーディオだったりウイスキーだったりとほぼITという生業ビジネスには不必要な情報ばかりです。
もっと言えば第二種金融免許を子会社で取得したのをきっかけに金融取引関連の記事を上げ、既に金融ビジネス子会社を売却後の今でも継続して金融商品取引に関する記事を6年前から定期的にメンテナンスしながら上げ続けています、どれもすべてが自分が得てきた知識やノウハウをまるで記録を残すかのようにまとめながら行っています。
他者の目には一見して意味の無いような事実が実は私的には将来大きな意味があるのです、つまりその理由が明確になるゴールがしっかり見えているのです、そして準備しながら事業化のタイミングをじっくりと見定めているのです。
私は無駄に準備期間を他者の数倍も長くとることがあります、事業開始の5年も前にサイトだけをオープンしてしまうことなどは当たり前のようにあります、形ができればそれに向かう姿勢と行動が自然に決まるからです。
逆に準備期間に3年かけても事業開始1年以内で廃止や休眠させることも多々あります、それは事業化してみて初めて解る障壁や課題を実体験してしまうからです。
そして克服するための期間と予算を検討します、そこで期間と予算がその事業規模と収益に見合わない場合は潔く撤退するか一旦休眠して再構築するかを決めるのです。
やり始めたことを済し崩し的にずるずると継続させることほど無駄な時間とお金を使うものはありません、「準備は充分に撤退は一瞬に」が私の長い経営経験から得たビジネスポリシーなのです。