「トリレンマ」とは、「3つのうち2つしか選択できない状況下での葛藤」を意味しています、ちなみにジレンマ(ディレンマ)は「2つのうち1つしか選択できない状況下での葛藤」という意味ですが意味はよく解らなくても多用される言葉なので皆さんもなんとなく使っているでしょう。
さて「トリレンマ」が多用されるカテゴリは国際金融課題が最も有名です、「独立した金融政策」・「為替相場の安定」・「国際資本移動の自由化」の3つは同時に実現させることは不可能です、したがって各国の金融担当はどれを犠牲にするかと頭を悩ませるわけです。
またイギリスのEU離脱などの国際政治にも「トリレンマ」が見て取れます、それは「グローバル化」・「国家主義」・「民主主義」という3つの事項の同時実現は不可能だからです、したがって何かを諦めるしかないのです。
この「トリレンマ」は考えるに意外と身近な事でも見ることができます、サラリーマン時代には起きえなかったが起業した途端に面白いように起業家の皆さんは起業家「トリレンマ」に例外なく陥ります、私も例外なく起業当時に経験しているので心理状況はよく解ります、私見としてあげておきますと起業家のトリレンマとは「自分のやりたいこと」・「事業の確立と収益化」・「自分や家族とのプライベート」の3つです。
この中で「事業の確立と収益化」とは起業の成功そのものであり自社だけでは成し得ません、取引先やパートナー企業との友好なる信頼関係の下に有益な事業を確立する必要があるからです、つまり「事業の確立と収益化」を成し得たい人は「自分のやりたいこと」か「自分や家族とのプライベート」のどちらかを犠牲にしないと達成できないのです。
しかし起業家「トリレンマ」は起業して安定収入を得られるまでの限定的な状況であり「事業の確立と収益化」以外の一つ、場合によっては2つを犠牲にして先ずは「事業の確立と収益化」を成し得ることで達成後は「トリレンマ」が一瞬で解消されます。
これは実に簡単な方程式です、3つのうち1つが解消したなら「トリレンマ」から「ジレンマ」に変わるだけだからです、更に2つのうち何かを限定的に諦めれば2つのうち1つがまた解消します、結果的に当初の3つの事項は全て解消されて自分の思い通りの幸福な状況を作り出せるのです。
ここを起業家の皆さんは起業直後に勘違いか思い込みを起こしてしまい未来に絶望すら覚えてしまうのではないでしょうか、そして「自分のやりたいこと」と「自分や家族とのプライベート」を諦めきれずに頑なにどちらかを期間限定としても一切犠牲にしません、結果「事業の確立と収益化」が犠牲になり成功することは有り得ないのです、これも実に簡単な上手くいかない起業家の方程式です。
「トリレンマ」に「ジレンマ」、段階的に1つずつ達成させることで解消させることが肝要なのです、そしてその間は何かを犠牲にしても達成させるという強い覚悟と執念、そして達成するまでのストイックなまでの継続した強い姿勢が重要なのです、何もかもを1度に得ようとするから「トリレンマ」や「ジレンマ」に陥るのです、段階的にプロセスを踏んで事を進める戦略を理解し実行すれば起業家「トリレンマ」も「ジレンマ」も起き得ないのです。
これが私が「自分のやりたいこと」や「自分や家族とのプライベート」を諦めきれない起業家に必ずアドバイスする「待て!」の極意でもあります、起業家に先ずは最優先されるべき事項は「事業の確立と収益化」以外にはありません、その意味で私はイギリスのEU離脱に一旦「グローバル化」を諦め「国家主義を取り戻す」という強烈なメッセージを読み取ったのです、近未来のイギリスの外交戦略に大いに注目したいと思います。
昔からミスを連発したり上手くいかない人への注意喚起で「優先順位が違う」という言葉がよく使われます、ただその意味は解っても本質が解っていなければ自身に落とし込むことは不可能で何を修正するのかも解らずにいつまでも同じ過ちを繰り返します。
優先順位を解りやすく言えば「今この瞬間に最も大事なことは何か」ということです、例えば既婚者は「家族が大事なので」という前置きをして報酬額の要求や労働条件などの提示をしてくることがあります、でも考えてみてください、雇う側にとって家族がいるかいないかは無関係です、その人がどれほどの能力を持っていてどんな結果を齎してくれるかだけが評価対象なのです。
逆に独身者は自由に時間を割けられるところがあって家族の存在に縛られずに機敏に動けますし有事の際の徹夜や休出も雇う側からすればお願いしやすいです、それであれば、同じ結果を出していても独身者の方がはるかに多くの報酬を貰って然るべきなのです。
でも多くのケースでは家族がいるからということがどこかで優先されてしまいます、その結果その組織からは社員間の軋轢によって優秀な人材が離れていくことになってしまう可能性もあります。
ここで重要なのが既婚者自身が考える優先順位です、家族が大事であるなら先ずすべきは誰からも不満が出ないくらいの成果を上げることです、その結果報酬を多く貰え誰からも文句も出ません、そして最終的に家族を養えることに繋がるのです。
「養う人がいる=見合う報酬が必要」、この発想の優先順位がまったく逆なのです、だから報酬額を巡って同僚間に軋轢が生まれ孤立して上手くいかなくなり、その結果報酬が下がり、最後には家族を守ることができなくなるのです、これで家族を本当に大切だと言えるのでしょうか?
「優先順位が違う」、この報酬問題だけではなく今やるべき事項や大事にすべき人、すべてにおいて同様のことが言えます、自身にとって優先すべき事項(人)ができたら、一度それを最も優先順位を低くして考えてみては如何でしょう?
私はこういった際には更に強烈な思考をします、それは「大切なものを失ってしまった」と仮定して思考するのです、そうすると自分の優先すべき事項(人)が明確に見えてくるのです、私はこれを「負のロジカルシンキング」(マイナス思考)と称しており、あらゆるカテゴリにおいて優先すべき事項(人)を見極めています。
会社が倒産してしまった、事業が大赤字で大失敗に終わった、大切な人と離別してしまった、という仮定結果から逆追いで現在までを思考するのです、ここまで思考すれば見えなかった優先順位の本質が理解できるようになるかもしれません、そして本当の意味で今大切にすべき事項(人)の優先順位の正解が明確に得られると思います。
お金に拘る人は収入が増えません、人脈に拘る人は有益な人材を得られません、成果に拘る人は商談でクロージングできません、守ろうと思えば守れません、すべてが今優先すべき事項(人)が違うからに他なりません、成したいことが有るなら意識だけでは成せません、成すには「今この瞬間に最も大事なことは何か?」を思考して具体的な行動を繰り出さなくては結果的に成すことは叶わないのです。
昔からよくある「究極の選択」という選択肢ですが、この究極の選択を迫られた瞬間にその人の持つ心理的本質が見事に表面化してしまいます、例えば「やりたくないことをしても成功したいか、それともやらずに一生極貧を続けるか」と問われたときは「やりたくないことをやる」と「やらずに極貧に甘んじる」の二者択一ということになります。
ここで面白いのは人によって回答方法が異なることです、一人はどちらかを即答し一人は決められないと回答を保留します、この場合どちらの人もアイデンティティが確立した自律した大人であるといえます。
ただし回答を保留した人の中で本当に考えて選択できない人は他者依存性が強い人です、またその選択を迫った人を尊敬できないもしくは信用に値しないから回答しないという人は自分に自信を持って生きている人だと言えます、おそらくどんなことも自分の力でやっていけるでしょう。
問題となるのは「どちらを選択したら質問者に好かれるか」と考える人です、この人は他者依存性に加えて共感性を持つ人で自信がなく何とか他者の力を借りてでも生きていきたいと思う人です、ここで共感性というのは相手に同意することではありません、相手が望むように自分を相手に無意識のうちに合わせてしまう人です。
究極の選択は人生にそう多くあることではないでしょう、私自身でいえば最も大きかったのは「上場企業の傘下に入り安定した経営を選ぶか、それとも自分の意思を通して社員と共に苦労を続けるか」でした、このときは自分自身のことよりも社員とその家族のことを優先して前者を即答したという経験があります。
でも幾多の善悪を経験した今なら「どちらも選びません」と即答するでしょう、今では社員の苦労を成功によって跳ね返せるほどの復興させる術を身につけ社員に絶大な信頼をおいているからです、「自分の意思を貫き社員と共に成功させます」と迫られた選択を跳ね返すことでしょう。
行動力と忍耐力とは同じ精神力なのですが、面白いことにこの2つの精神力は陰陽の相関関係にあります。
行動力とは何かをやろうとする前向きな精神力です、強い人は事前に猛勉強して段取りを組み積極的に業務をこなして経験を知恵に変えてどんどん成長していきます、反対に行動力が弱い人は頭では解っていても身体がついてこなくて面倒な事や嫌な事をつい先送りしてしまい常に要領が悪く経験を通した知恵がいつまで経ってもつきません。
忍耐力とは自分の感情を抑える精神力です、強い人は相手が激怒しても冷静さを保つことができます、反対に忍耐力が弱い人はちょっとした指摘でも落ち込んで立ち直るのに時間がかかります。
ここで面白いことに同じ精神力でありながら4つの相関関係があるのです、それはどちらも強い人、行動力は強く忍耐力が弱い人、行動力は弱く忍耐力が強い人、どちらも弱い人に分かれるのです。
ここでどちらも強い人は経営者やリーダーに相応しい精神力の持ち主です、困窮状況や有事の際にはじっと耐え忍び、天の時が来れば一気に打開策を繰り広げて爆発的な行動力でこれまでの低迷を挽回し更に拡大成長を成し得ていく人です。
またどちらも弱い人は自分に無理なことは最初から避けて通るので大きな失敗もありませんし他者に迷惑もかけません、平凡な人生で終わってしまうかもしれませんが押し並べて平和な人生を送れる人だといえます。
問題なのが行動力と忍耐力がアンバランスになっている人です、行動力が強く忍耐力が弱い人は自分の思ったように進むときには良いのですが一旦難題にぶち当たると大きく落ち込んでしまい身体が動かなくなります、そしてその状況から逃げてしまうこともあり更に悪状況が拡大することになります。
逆に行動力が弱く忍耐力が強い人は頭では解っていても期待どうりに結果を出せなかったことに対して自己擁護や保身に走り真に反省することができません、結果としていつまで経っても他者依存から脱することができずに何度も同じミスを繰り返してしまいます。
この2つの精神力は武器と防具に例えると解りやすいかもしれません、どちらも同じ程度にバランスが調っている人は自身と他者の評価が一致し誤解を生むこともなく生きやすいともいえるでしょう。
方やアンバランスな人は、自分自身の認識と他者との評価が大きく乖離し他者に不要なストレスを無意識に与えてしまっている可能性が高く理想とは大きくかけ離れた人生を送ることになるかもしれません。
何事も陰陽のバランスが重要だということです、電気や音の波形を見てもこれが自然の摂理通りだと理解できるでしょう、電気であれば陰陽つまりプラスとマイナスのバランスが悪いと電力効率が極めて悪くなり消費電力に対して熱量やトルクが追いつきません、音であれば陰陽つまり正負のバランスが悪いと歪んだ音になり聴いていられたものではありません、人もまた同様で精神力のバランスは生き様に素直に出てしまうのです。
不思議なことに組織の中で本当に利益貢献している有益な社員は常に存在を意識させません、存在感を消しながらも納期はきっちり守り任された業務もミスも無く完璧です、したがって更に周囲に安心感を与え存在を意識させないのです。
逆にミスを連発し常に社内にトラブルの種を作っている人は「また何かしでかすのか?」と経営陣だけではなく同僚たちも強く意識させられます、この不必要な事項に意識させられるということが人間にとっては本当にストレスなのです。
加えてミスをカバーしようと思っているのでしょうか、「頑張ってますアピール」を思い付きだけで行ってくるのです、これが更に自身の業務を妨害され何とも言えない強いストレスになるのです、依頼された事がまともにできずにミスばかり、それをカバーするように依頼されていない事を必死にやろうとする、本末転倒もいいところであり且つ優先事項を大きく間違えています。
更に自分中心での身勝手な思考であり他者への思いやりや気遣いなど微塵も在りません、20歳代なら解りますしやる気があって将来が楽しみでもあります、でもいい歳した人にやられると腹立たしいだけでなく憎悪感まで覚えます。
戦国時代の有能な武将は人知れず成果を上げ親方に呼ばれるまでは粛々と自身に課せられたノルマをクリアしていくだけで自ら承認アピールなど一切しません、だから更に信頼されここぞという時には大任を与えられるのです。
しつこいほどに自身を認めてほしいという承認アピールをしてくる人は何時の時代もどの世界にもいます、承認アピールしてる時点で「今の自分は役に立ってない」ことを自覚しているわけですから既に落ちこぼれなのです、それをしっかり受け入れ他者に迷惑をこれ以上かけない為にも大人しくしていることです。
そして他者に自身を承認してもらうのではなく他者が自身をどのように感じているのかをまずは承認すべきです、自身が他者の気持を承認すれば他者もそれに応じる行動を取れるというものです、これらを認められずに自己都合だけで対応しようとするから反動で無意識に強烈な承認アピールという行為に走るわけです。
そこに組織の利益や他者の現状把握などは存在せず考えているのは狭い視野での自分擁護のプライドと家族の生活という保身だけです、これではたして組織の一員と言えるのでしょうか、組織活動の邪魔になっても利益にはならない存在は組織の長が最優先で解決すべき事項です、組織の利益と社員の平和を守るという大義名分の名において厳しい決断をしなくてはならないでしょう。