新型コロナウイルスパンデミックが生んだ社会現象の一つである「ソーシャルディスタンス」ですが、この裏で各種の新たな社会現象が発生する兆候が起こっています。
その一つが訴訟の増加です、これまで証拠不十分で泣き寝入りしていた人が今後は堂々と訴訟を起こすようになります。
その確固たる証拠というのがWeb会議の録画やメールです、商談や会議がWeb会議で行われるようになっています、これらは全て録画されていると思った方が良いでしょう。
逆に言えば録画さえしておけばいざという時の証拠に使えるということです、リアルでの商談などでは常に後々問題が発生した際に「言った、言わない」の論議がされます、この問題が全て明白な形で保存されるようになります。
商談の記録だけではなく社内のパワハラやセクハラも同様に記録として残ることになります、更にはリモートコンサルティングやリモートコーティング、もっと言えばプライベートでの会話も同じことです。
誰に対しても後ろめたい事が無く、正々堂々と生きている人にとってはメリットが高くなりますが、相手によって言う事をコロコロ変える人やその場凌ぎの嘘や誤魔化しで生きてきた人には何とも生きづらい世の中になっていきます。
リアルが中心だったこれまでの時代からテレワーク中心の時代に変わってきます、この変化によって生きやすくなる人と生きづらくなる人とに分かれます。
この時代の変化はあなたにとってはメリットになるでしょうか、その答えはそう遠くないうちに明確に現れるでしょう。
どんな時代になろうがどんな新たな秩序が生まれようが、常に自分を律して正しい人の道を歩んでいる人にとっては不利になることは有り得ないのです。
「一時的にどんな理不尽な状況になろうが最後には正義が必ず勝つ」、門下生に常に言ってきた言葉です、不正や誤魔化しは何時かはどこかで想像を越えた方法で曝け出されることになるのです。
お金の話は聞く人によって、またその時の状況によって様々で誤解を生むこともあります。
「お金で買えないものは沢山ある」、「世の中お金じゃない」、などと言う人もいます、私もそう思うし皆さんも同様だと思います、されど世の中は奇麗事だけではやっていけないことが沢山あるのも事実です。
例えば一念発起して起業しようとします、例えば新事業を構築しようとします、そこでまず躓くのが資金の問題ではないでしょうか?
結局やりたいことは我慢して最小限の出来るところから始めます、しかし当然計画通りにはいきません、資金の問題は思っている以上に重くのしかかるのです。
誰が言ったのかを思い出せないのですが、「今やりたいことが無いのなら何をおいても先ずお金を貯めることだ、何故ならやりたい事ができたときにやれないからだ」というけだし名言があります。
「金は天下の回りもの」とよく言ったものですが既にそんな平和な時代ではありません、事業資金は自分のアイデアと努力で調達するものなのです。
お金がすべてではない、されど夢を実現しようにも困った人を助けようにも、ただ生きていくのでさえお金が必要なのです。
成功したいのであればそこのところは綺麗事を排除して極めてシビアに捉えなければなりません、私は不安のない悠々自適な老後人生を考えています、それを考えるにも恐ろしいほどのお金が必要になります。
何故なら理想の老後を考えると広い土地と巨大な各種の施設が整った住居が必要です、更に道楽にお金の不安を持ちたくはありません。
そのために10年ほど前から持てる知恵を振り絞って老後の経済バックボーンの確立に向け粛々と準備していたのです、それがほぼ確立できたことでこのうえない幸福感を感じています。
この歳になっても、自身の中で明確に理解できない事が本当に多々存在しています。
特に、人の心や感性は自身だけではどうにも解決できない事項であり、時に諦めもつかないほどのストレスを感じることもあります。
その人独自の感性はこれまで生きてきた中で身についたものです、必要に迫られても修正するのは極めて難しいと思います。
結局のところが、感性が合わない人とはビジネスでもプライベートでも苦痛を感じてしまう為に遠ざけるようになってしまいます。
その人が例え仏様のような立派な人であろうが、人柄が良くて誰からも好かれていようが、感性の不一致はストレスを感じるのですから割り切ろうにも割り切れないものがあります。
物事の感じ方は判断や行動に直結します、感性が合わないとベクトルが揃わず結局は足の引っ張り合いをして互いにブレーキになってしまう結果になります。
逆に感性が一致している人だとベクトルが一致し、組織ともなれば個々の経験や能力などは無関係に恐ろしいほどの巨大な力を発揮します、「経営者の最大の仕事は人事」と昔から言われますが納得の言葉だと思います、
組織のベクトルが一致しないと、何事も優先事項とタイミングが合わずに良い流れが来ても自然消滅か支流がたくさんできて分散してしまい上手くいきません。
ここぞの時と待ちのタイミングも合わず、待ちくたびれた方は別の事に専念するようになり誰も幸福にならないのです。
私はこの「感性」を凄く重要視しています、合わないと判断すれば関係を断ち、合うと判断すれば経験や能力に関係なく組みます、その判断期間はどんなに長くても1年以内に結論を出すようにしています。
そして、合わない人とは当座はビジネスライクに付き合い、タイミングを見て相手の方から離れていくようにお膳立てをします、これが最も事後トラブルのない別れ方だと思います。
「寄るも去るも判断は常に相手に委ねる」、私流のビジネストラブル回避の極意です。
私はよくブログサーフィンを楽しみます、いろいろな感性の人のブログ記事と背景にある人間像を想像していると意外と楽しい時間を過ごせるのです。
そんな中で時々はっと気づかされることがあります、それは20代から30代の人のブログですが、先の見えない時代にあって我々の年代よりもはるかに冷静に先を見て人生を考えています。
そして人生やビジネスに対する熱い思いを感じます、自分の強い思いやそれに裏打ちされた行動への情熱という私自身が忘れかけていた大事なものを思い出させてもらえます。
「私も、こんな怖さ知らずの盛んな時期があったな」、メラメラと燃えるような炎をブログの隅々から感じとれ思わず自身の過去の元気な時代を思い出してしまいます。
私はもうこんなにも激しくは燃えることはできません、否したいとも思わなくなってきたのです。
私は今までの経験に素直に従って、かつて40年以上も燃え続けた福岡県久山町のボタ山のように静かに熱く燃え続けたいと思います。
この歳になって、メラメラと激しく燃えていたのでは世間に迷惑がかかるだけです。
メラメラと燃える火はちょっとの風雨であっという間に鎮火してしまいます、対してボタ山の火は雨が降ろうが台風が来ようが消えることなく40年以上という歳月を最後までずっと燃え続けました。
燃え上がる炎こそ表面からは見えませんが、地下数十メートル下での内部の温度は鉄をも溶かすほどに熱く燃えていたといいます。
道楽で特徴のある植物から野菜まで育てていますが、面白いほどに大きな学びが得られるのです。
中でも多肉植物の生態の変化(へんげ)には驚かされる事ばかりです、温度に湿度、日照時間に水やりのタイミングと量、これらによって同じ種とは思えないほどに大変化していきます。
そしてもう一つ面白いのが変化の直前に成長を一旦止めてしまうということです、人の成長段階にも似ていて本当に不思議です。
毎週のように新しい葉を出してぐんぐん成長していたと思ったら、2ヶ月以上もまったく動きを止めてしまうのです、そして再び動き出したと思ったら全く別の形と色の葉を付け始めるのです、そしてこの葉の形と色のまま成長を開始します。
ちなみに根の成長を見るために、幾つかの種をガラスや透明なプラスチックの容器に植えて観察しているのですが、成長が止まっている時には根の成長も止まっています、むしろ古い根が自然に枯れたり溶けて無くなっていく種もありました。
この変化というか、進化の過程が本当に多くの学びを受けます。
一旦動きを止めている時に、植物の中では一体何が行われているのでしょうか?
昆虫は幼虫から成虫に大変化を行う際には、蛹の状態でまったく動きを止めて細胞組織を一旦液状化し全てを作り変えています。
つまり本当の意味での生まれ変わりです、だから幼虫の時の本能も記憶も無いのです、存在するのは細胞に組み込まれた遺伝子だけです。
人間も含めた哺乳類も季節の変化を感じると細胞の入れ替えを行います、この時には多くの貯め込んだエネルギーを使うので眠気が襲い力が出ません、こんな状態と酷似しているのでしょうか?
そして植物の多くは成長を止めている時に水をあげると、土中のバクテリアが活性化し根がバクテリアと戦うエネルギーが無く確実に根腐れを起こして枯れてしまいます、したがって状態を毎日のように観察する必要があるのです。
多くの植物栽培での失敗は植物の状態の観察不足による安易な水やりです。
こんなところからも多くを学べるのですが、人を育てるのもその人の状態や状況をよく観察する必要があるのではないでしょうか?
そして、適切な処置をタイミング良く講じてあげることが肝要です、場合によったら一時的に放っておくことが成長させるに最も適切な場合もあるということなのです。
状況や状態に合わせた最適な指導、結局何を育てるにもテクニック以上に愛情をもって、よく観察しながら余計なお世話でなく適切な手入れを行うことが肝要なのです。
つまり、私がよく言う「心のコミュニケーション」とはこういう事なのです。