2024年7月17日 06:00
26歳でフリーSEになった当初に先輩から言われたことが頭から離れません、それは「戻る場所が在る人はある意味では後ろ盾となり心強い、でもある意味ではそれが最大の障害となる」という意味不明の言葉です。
この言葉の本質を知ったのはそれから3年ほど経った28歳での法人設立の後でした、それはいつものように正月に実家に帰ったときです、帰った当日は久々に親父と酒を酌み交わしながら家族の温もりを満喫しました、しかし翌日から頭の様子が変なのです、漠然とこの無駄に過ごしている空白の時間がゾワゾワして不快に感じるのです。
「ここは今の自分がいる場所ではない」、その瞬間予定よりも2日も早く東京に舞い戻り誰も居ない静かな事務所で一人遅れ気味だった設計作業を黙々と進めたのです、それ以来盆も正月も実家に帰るということをしなくなりました。
これとまったく同じことを現在私と共にITシステムの設計に携わっているスタッフも数年前に経験し以来正月に実家に帰ることをしなくなりました、また別のスタッフはインスピレーションなのか起業直前から数年間親兄弟や友人に一切会わないようにしていたと後で聞きました。
いつでも帰れる場所が在ると確かに心強いものです、でもこの甘えが一念発起で何かを始めた際には心に迷いを齎し固まりかけた覚悟をものの見事に崩壊させるのです、覚悟が崩壊した人間は自身にも周囲にも疑心暗鬼になり何をやっても空回りしては大いに周囲に迷惑をかけるようになります。
私は一念発起で成功したいと言う人に「安全地帯を確保しておいて成功をしたいなどと言うのは単なる身勝手な願望だ、そもそも未だに覚悟を決めてないよね」とよく言います、その理由は全てが自分が経験した心の迷いの原因を見極めてきたからです、私は絵空事で他者に何かを伝えることは一切しません。
仏教の世界では修行の邪魔をする煩悩を「魔羅(まら)」と言います、まさにいつでも帰れる場所やいつでも自分を迎えてくれる人の存在は覚悟を決めて大事を成そうとする人にとっては魔羅と化すのかもしれません。
これは親兄弟や家族の存在が悪いということではありません、その人達には何の罪もありません、全ての責任はその存在によって妙な守りに入る思考を生み出し覚悟がぶれる自分の心の弱さや経験不足からの未熟さにあるのです。
その一線を乗り越え見事にぶれない覚悟を身につけた人は一転して本当に何の憂いも曇りもなく家族や友人たちと心から愉しい時を過ごせるようになります、そして自分の夢実現に急速に近づくのを実感するようになります、また不思議なことにお金も貯まってくるのです。
道楽に没頭したり長期の休暇を取っても思考が一切変化することもなく覚悟も微塵もぶれることがありません、したがっていつ業務に復帰しても瞬時に全力投球できるのです、辛さに耐えるのは数年間というほんの一瞬だけです、一念発起した者に天は必ず覚悟の程を計る試練を化身を通して課すのです。
その意味からも起業に最適なタイミングは結婚する3年以上前か定年退職した後だと思います、これは多くの事例からも確実に言えることです。
ただそんな過去の事例を覆すような例外的な人も稀にいます、その人は既婚者でありながらも3年間ほどは考えられないほどの努力とその結果においての実績を通して確実な地位と名誉を得て私と共に今世界初のIT商品開発に尽力しました、そして家族からお礼のメールを何度もいただくまでに幸福に暮らせています。
実は私の下に就いた当初は家族から何度も不安や疑問のメールを貰っていました、その時の私の返答は「そこまで私を信じられないのであれば、どうかご主人を私から離れるように身を以って必死に説得して下さい、私も協力しますから・・・」だったのです。