知能指数を指すIQはよくご存じかと思いますがAQという指数が存在することをご存じでしょうか、AQとは「逆境指数」を指しトラブルや困窮した状況などの逆境に対する行動パターンを指数化したものでポール・ストルツ博士によって考案されたものです。
このAQを指数化するにあたり人が逆境に対する反応を4つの要素に分類しました、4つの要素とは「コントロール」・「責任」・「影響の範囲」・「持続時間」であり、これらを数値化してAQレベルを割り出します。
そのAQレベルから「脱落組」・「キャンパー」・「登山家」の3つのタイプに分けます、この方法で個人や組織の逆境の耐性などを知る事ができるというもので今後評価されてくる指数ではないかと思っています、各種の検証もされつつあり例えば企業では80%の人が「キャンパー」であり逆境では逃げ出すか安定を求める行動を行うようです。
ちなみに「脱落組」というのは逆境に対する耐性が無く冒険を一切できず社会的活動ができない人、「キャンパー」はある程度の冒険はできるがいざとなれば我先に逃げ出す人、「登山家」は前向きに逆境を捉え目的を達成できる人です。
ここで「登山家」と認定できる人はどの国でも成人人口の3%と言われており、ここから「3%の領域」・「ハーネス思考」などという成功法則的な書籍がある時期に多数出版されました、ちなみに「ハーネス」とは登山家が使う身を守る為の安全金具のことで「登山家」を間接的に言い表しています。
このタイプを割り出すための「AQレベル」とは以下に示すように分類されます。
・L1:「エスケープ」-試練や責任から常に逃避する人
・L2:「サバイブ」-直面する状況で生き残る方法を考える人
・L3:「コープ」-直面する状況で短絡的に対処を試みる人
・L4:「マネージ」-逆境を管理し積極的に解決しようと試みる人
・L5:「ハーネス」-逆境を栄養源にして更に成長を遂げていく人
AQレベル1は「脱落組」、2~4は「キャンパー」、5は言うまでもなく「登山家」ということになります。
ここで「登山家」が経営者に向くのかと言われるとイコールではありません、逆境に対する対応は経営者の資質の一つに過ぎないからです、ただ「脱落組」とレベル2とレベル3の「キャンパー」は残念ながら独立を考えるときは個人事業主もしくは単独経営に留めた方が無難でしょう、また法人役員を考えた場合には資格の維持などの特別な場合を除きレベル4以上の人を採用することが望ましいでしょう。
さて組織の構成を考えた場合、この逆境指数を上手く使うことでその人に応じた役割や責任分担をクールに計画できるのではないかと考えています、経営者や団体組織の代表という者の最大の業務が人事です、どんな人も情というものがあります、しかし強い組織を考えるとき情を捨てクールに割り切った施策が求められるときも多々あるものです。
多くの人は一定のリズムと生活スタイルを保って日々活動していると思います、朝起きたら歯を磨きシャワーを浴びて着替えをしテレビを視ながら朝食を食べ出勤しているのではないでしょうか、そして一週間という単位で休みや行事のリズムを作っていると思います。
この日々繰り返される習慣が脳の老化現象を起こす最大の原因となるルーティングであることに早期に気付いてほしいのです、同じことを繰り返したり一定のリズムを保って生活しているときには脳はほとんど使われることはありません、つまりこれが「習慣」という脳の合理化現象なのです。
更にオフィス作業や休みの日の過ごし方も同じ事を繰り返すルーティングとなると、おそらく1ヵ月もしないうちに脳は新たな事を考えることをしなくなってしまいます、これが脳の老化現象を招く最大の要因なのです。
脳が老化している状態で環境変化やカルチャーショックを受けた場合には有り得ないミスや言動を自覚が無いままに発作的に起こすようになります、変化を受け入れたいという気持とは裏腹に無意識にその変化に翻弄されるようになるのです。
これがビジネスともなると割り込みや突発的に起こる業務に敏感に反応し周囲との人間関係が悪化し孤立していきます、そして業務フローを自分の都合とペースに合わせて作り変えてしまうような保身行動を起こすようになります、つまり自分は自分なりに必死にやってます感を周囲に示すのです。
ただこれもまた周囲との大きなギャップを生むのですが気付いていないのは自分だけなのです、更には責任を取らなくてはいけないことから逃げるようになります、最後には自分の殻に閉じこもるようになり周囲に何かの変化が起きても気が付かない振りを決め込んでしまいます。
また新たな課題に対しても積極的に向き合うことを止め、どうしたら避けて通れるかだけを考えるようになります、報告や相談すべき事を開示せず自ら進んで動くこともなく誰かから促されるまで自分の中だけに留めるようになります、情報開示すれば新たな業務が生まれる事を無意識のうちに避けているのです。
お金に関しても使うことよりどうすれば使わずに済むかという全てにおいて保身とマイナス思考が先行するようになります、変化や減少することに神経を尖らすようになったら脳の老化現象はかなり進んでいることを自覚することです。
これを防ぐには私生活でのルーティングを一切止めることです、朝起きたら毎日違う順序と方法で出勤準備を行い通う道も乗る電車の時間も可能な限り毎日替えるのです、日々新たな発見や疑問を意識すること、この継続によって脳は徐々に正常に戻っていくのです。
またお金は使ってこその価値媒体であり使うから増えるという経済循環思考で考えることが肝要です、最初のうちは出る一方ですがある瞬間から急激に入るお金が増え、そのうちこれまでの投資を上回るお金が入ってくるようになります。
自らが積極的に経済循環活動を行うようになればそれに伴って周囲もその人に優先してお金を回すことを考えるようになるからです、経済循環活動を止め自身のお金だけを考えるようになれば当然周囲もその人を経済循環から外します、したがって減ることはあっても増えることはないのです。
変化とリスクを自ら積極的に愉しめるようになったら脳は活性化し若返りを果たしています、そしてその結果において今を大いに愉しめ幸福感を感じるようになるのです。
脳の老化現象は健康や美容にも大きな害を及ぼします、最も怖いのが脳内ホルモンの分泌異常による精神的疾患と皮膚疾患でしょう、今からでも遅くはありません、ルーティング生活を即止めることをお薦めします。
「パラドックス」とは数学や物理学で用いられる言葉であり多くの仮説から一つの解を導くときの勘違いを定説化した概念です、この概念は天才科学者ラッセルの文学的論文によって世に広く知られるようになりました、「一見正しそうに見える仮説と一見正しそうに見える推論から正しくなさそうな結論が得られる」というもので、この正しくなさそうな結論のうち本当に正しくない結論を「パラドックス」と言います。
この「パラドックス」ですがビジネスや人間関係にも実に見事に当てはまるのではないかと思うのです、特にITビジネスには多くの「パラドックス」の罠が存在しており「パラドックス」により大きな致命傷を負うこともあります、人間の感性を機械で代用すること自体が既に「パラドックス」と言っても過言ではないのです。
経営では事業計画がこれにあたります、この法則のように「パラドックス」が結果として現れることが実に多いのです、人材・予算・行動・成果などを考え全てが正しそうな仮説と正しそうな推論によって形にしたものが事業計画です、そのほとんどが途中で修正されるし修正に修正を重ねたものでも結果として得られるほとんどが「パラドックス」となります。
計画性を最重視した上場企業でさえも年に4回も修正報告がなされているのを見れば解るでしょう、ベンチャー企業においてはほとんどその意味を持ちません、作成する意味をここで云々しているわけではありません、あくまでも計画と結果は常に「パラドックス」だということです。
物体や物質など本来は固定し不変のものと仮説・推論されるものでもひと時も同じ状態というのがないのが現実社会です、まして量子や宇宙に関して言えば瞬間だけを取り上げてどんなにすぐれた仮説・推論を繰り返しても結局最後には「パラドックス」となるのは当然のことであり不思議でも何でもありません。
更に定期的な行動を一切しない生命体(例えば人間)に関していえば全てが「パラドックス」と言っても過言ではないでしょう、「自分が判らない」、「あの人が判らない」、これは至極当然のことです。
そもそも個性や性格とは何でしょうか、常に見せる表面的な性格は氷山の一角に過ぎません、多くの部分は無意識の領域であり氷山で言えば見えない海の中なのです、その見える部分だけで自分や他人の性格を決めつけ付き合おうとしても何かの拍子に見えない部分が出てきて一瞬にして「パラドックス」化してしまうでしょう。
言葉・文章・表面の性格を見るのでなくその裏に潜む心を見るようにしなければ人間の本質は判らないのです、社会構造の全てが人間関係で成り立っています、少なくても目に見える表面だけを見て仮説・推論しても意味が無いことだけは理解すべきでしょう。
人間関係で最も多い「パラドックス」は自分の知り得る範囲でその人の人脈や能力に財力などを見切ってしまうことです、その結果において争ってはならない人と争っては大きな損失を生んだり自身の成功の為に不可欠な人を遠ざけてしまったりしてしまいます。
冷静に周囲を見渡して観ると偏見や思い込みによって「パラドックス」の罠にはまっている人が実に多いのには驚かされます、そして万物に「パラドックス」の罠が潜んでいると仮定して事に当たるのが見えないものを具現化させるためのビジョン思考という極意なのです、人生を豊かなものにしたいのなら「パラドックス」をどう乗り越えていけるかが最重要課題となります、常に自身の結論を一旦は疑ってみることが一つの解決策になると思います。
「自分の考えは正しい」、こういう独善的な人が最も危険であり事を成す前から既に「パラドックス」の罠にはまってしまっていることを知るべしです、「自分の考えは間違っている」、こういう人は常に情報を開示し周囲と課題を共有化します、だから結果的に自身の責によるミスは起きえないのです。
「ガラパゴス化」という言葉は2007年から使われだした記憶があります、きっかけは当時の日本の携帯電話方式の世界からの孤立を指していました、何故「2007年」というのをはっきり記憶にあるのかというと当時私の人生が一変した大きな出来事があったからです。
さて携帯電話先進国であった日本は高速且つ安全な独自の通信方式を幾つも構築していたのですが通信後進国の多くはアメリカで確立された方式をそのまま採用し通信網を構築しました、その結果において日本の携帯電話方式の全ての性能は桁違いに優秀なのに日本国以外では使えないものとなってしまったのです。
簡単に言うと日本の技術は超一流だったのですがグローバルマーケティングにおいてはアメリカに完敗したということです、これは何も携帯電話だけの話しではなく多くの先進技術事例でこういったことが過去繰り返されています、その孤立した状況を外部から閉ざされ独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の生物に例えて「ガラパゴス化した日本携帯電話の末路」と各国が揃って報道したのです。
これと同様の状況に陥っている人を時々見かけます、つまり思考と情報記憶が若い頃に固まりその人の中だけで頑なまでに存在し続け世間の情報から孤立している人です、例えば会計基準や会計諸表は常に進化しています、ここ最近では2018年頃に項目の名称や表示方法などが変更されました、しかしガラパゴス化人間にはそれが受け入れられず一人で新しい会計方式に対して文句を付けては勝手に変えようとします、これでは笑い物にされるだけで世間には通りません。
また思考そのものがガラパゴス化している人も見受けます、新しい事項全てにおいて覚えようともしないし必死に努力しても自身でも自覚するほど記憶に残らないのです、世の中の変化についていけないガラパゴス化人間はどうして新しいルールや情報を受け入れられなくなってしまったのでしょうか、ここには脳の個性以上に心理学的なものが潜んでいます、それは仕事やプライベートの順調さに加えて経済的余裕があった最も輝いていた若い頃の記憶です、それが唯一の誇りでありその記憶による当時の幻想をいつまでも引きずっているのです。
では何故いつまでも過去の一瞬の栄光に囚われているのでしょうか、そうです輝いていたのはその一瞬だけでその後は鳴かず飛ばずの自身でも受け入れられない失望状況が続いているからです、こういった無意識なる過去の記憶を消せない心理的要因によって脳が古い情報を記憶と共に固定化し新しい情報を記憶することを拒んでいるのです、したがってその日は覚えていても次の朝には忘れてしまうのです。
笑い話のようですが現実にこういう人と一定の頻度で出会いますから相応の割合で存在していると思います、長年変化しないルーティングワークだけで行える業務は別にして多くの場合自身が歩んできた道以外では一切活躍できない人です、確固たる過去の実績があるのに転職で失敗する人の多くがこのガラパゴス化した人間なのです。
「自分を変えたら生きていけない」とまで脳が自己擁護と保身心理に侵されています、自分一人で生きているなら問題ないのですがビジネスは必ず相手が不可欠なカテゴリです、ガラパゴス化人間は生きているだけで自分が思っている以上に周囲にストレスを与え、その弊害は極めて大きなものであることを自他共に認識する必要があります、早期に心理的要因を解かないと一生過去の記憶でしか理解できない情弱者で終わってしまうでしょう、ガラパゴス諸島を離れた瞬間死に至るガラパゴス諸島の生物と同様に。
現在はウルトラ級の多種多様化時代です、常に新たなブームが巻き起こりルールやインフラが次々と変化していきます、全ての生命体は過去の記憶の中には生きられません、未来を生きる為に現実を受け入れ進化させる勇気をもってガラパゴス化の呪縛を解くことが唯一の明るい未来を構築する方法です。
ガラパゴス化した人間は自分が正常であって世の中の人がおかしいと頑なまでに思い込んでいます、これを自身が間違っていると修正するのは極めて困難だと思います、ちなみに私がガラパゴス化人間と気付き必死に指導して見事に修正できた人はゼロです、恨まれる前に嫌われても離別の道を自ら選ぶように誘導するのが精いっぱいだったのです。
私は「愛」について語ることはありません、また「愛」という言葉を多用する人も好きではありません、何故なら「愛」は極めて重い心情の一つだと考えているからです。
「愛」という心情を重いものと感じるようになったきっかけは28歳で起業した直後に到来したバブル景気の頃に、社会に出てきたばかりの若造の私が技術と資金力にものを言わせて非情な同業他社に対するM&A(企業買収・合併)を繰り返していた頃です、その際に対象の法人経営者やベンチャーキャピタルから「愛が無ければ何事も上手くいきませんよ!」とよく言われたのです。
その意味を正確に理解するのにはかなりの時間がかかりました、逆にM&Aを仕掛けられた際に痛いほど自身の「愛」が無かった非情な振舞いを思い知ったのです、これまで味方だと思っていた身内が敵対勢力に寝返ったのですから。
ところで、「愛」という漢字は何を意味しているのかと気になって調べてみたら極めて重い意味があったのです、そのまま引用させてもらうと「旡・心・夂の組み合わせによる愛。旡は人間が後ろを向く姿、心は人間の心、夂は人の足を表します。つまり愛とは人がゆっくり歩きながら後ろを振り返ろうとする心情を表しているのです。」ということです。
愉しく過ごした後に別々の道で帰宅する際、一緒に過ごした人が「無事帰れるかな?」と心配になりつい後ろを振り向いてしまう、その人を常に気をかけている心情が表面に出る瞬間です、こういった重い意味のある「愛」を簡単に使えないのです、だから簡単に「愛」を使う人は物事を気楽に考える人であり信用できないと感じてしまうのです。
ただし私は言葉としては使いませんが冒頭のように心の中には常に抱えているところがあります、厳しいノルマを課せる際も非情に映る人事異動や退社勧告も全て必ず逃げ道やリカバリーの余地を残します、自らそれに気付いてほしいと思うからです。
ビジネスも自身の業務も、そして家族や同僚・仲間・取引先に対してこの「愛」が無い人は確実に孤立していきます、他者事を自分事よりも優先して思いやる心が「愛」という心情です、だから何事に対しても「愛」に欠けた人は絶対に上手くいかないのです。
思ったように上手くいかないのは努力や能力が足りないのではありません、自身の業務・職場・事業・商品・サービスに対して「愛」が無いのです、そして仲間や身内に対して自己願望を押し付けるだけで相手を思いやる「愛」が無いのです。
子曰く「それを知っている者はそれを好きな者には敵わない。それを好きな者はそれを愛する者には敵わない。私はいままでに人を愛するように生業を愛する者に会ったことがない」、実に深く重い教えです。