2024年6月26日 06:00
昔からよくある「究極の選択」という選択肢ですが、この究極の選択を迫られた瞬間にその人の持つ心理的本質が見事に表面化してしまいます、例えば「やりたくないことをしても成功したいか、それともやらずに一生極貧を続けるか」と問われたときは「やりたくないことをやる」と「やらずに極貧に甘んじる」の二者択一ということになります。
ここで面白いのは人によって回答方法が異なることです、一人はどちらかを即答し一人は決められないと回答を保留します、この場合どちらの人もアイデンティティが確立した自律した大人であるといえます。
ただし回答を保留した人の中で本当に考えて選択できない人は他者依存性が強い人です、またその選択を迫った人を尊敬できないもしくは信用に値しないから回答しないという人は自分に自信を持って生きている人だと言えます、おそらくどんなことも自分の力でやっていけるでしょう。
問題となるのは「どちらを選択したら質問者に好かれるか」と考える人です、この人は他者依存性に加えて共感性を持つ人で自信がなく何とか他者の力を借りてでも生きていきたいと思う人です、ここで共感性というのは相手に同意することではありません、相手が望むように自分を相手に無意識のうちに合わせてしまう人です。
究極の選択は人生にそう多くあることではないでしょう、私自身でいえば最も大きかったのは「上場企業の傘下に入り安定した経営を選ぶか、それとも自分の意思を通して社員と共に苦労を続けるか」でした、このときは自分自身のことよりも社員とその家族のことを優先して前者を即答したという経験があります。
でも幾多の善悪を経験した今なら「どちらも選びません」と即答するでしょう、今では社員の苦労を成功によって跳ね返せるほどの復興させる術を身につけ社員に絶大な信頼をおいているからです、「自分の意思を貫き社員と共に成功させます」と迫られた選択を跳ね返すことでしょう。