子曰く「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」
歳に応じた正しい生き方を示した教えである。
いい歳をして尚も自身の存在意義と使命に気付かず、
「何故、ここに居る」の質問にも明快な回答が出ない。
目的思考ではなく生活の為の手段思考の人が多くなった。
何事にも意味と理由が明確に存在している。
勿論、自分が生まれてここに居る意味も理由も在る。
その意味と理由を明確に理解できなければ、
今優先すべき事項と人も当然解るはずもない。
ただただ自分と家族の生活の為に嫌な労働を自身に課して、
働く為に生き続ける人生が意義在るものなのだろうか?
お金を得る手段の労働と、
理想の実現を目的にしたビジネスとは180度異なる。
まあ、手段に甘んじているから疑問も出ないのだろう。
「何故、ここに居る」の質問に明快に回答できない人に、
他者の気持ちも存在意義も理解できるわけがない。
そして、あらゆる存在に感謝することもないのだろう。
正直、あまり関り合いたくない人だね。
価値観と互いの存在意義が共有できない人は、
きっと同じ時空を生きながらも別の次元の人なのだ。
そう考えると急に心が楽になるのを覚える。
「一病息災」
健康な人よりも持病を抱えている人の方が、
日頃から健康に気を配り長生きするという教えである。
40歳を越えた辺りから元気な日が徐々に少なくなってくる。
毎日どこかが痛んだりだるさが残ったりする。
これが50歳を越えた辺りから、
一つが二つになり、そして三つ四つと年々増えてくる。
ところが突然のように、
還暦過ぎた辺りから徐々に元気な日々を再び取り戻す。
それを信じて今が辛くとも長生きしましょう。
身体だけではなく偏った思考も同じように辿るようだ。
「長生きすれば必ず善い事が待っている」
健康オタクで有名な徳川家康が日々呟いた言葉である。
根拠を示した人の言葉は実に説得性が在ると思う。
身体も思考も自分自身、真摯に向き合って生きることだ。
他者を羨まない。
他者を恨まない。
他者を攻めない。
他者を認めて許容することだ。
他者の喜びを素直に喜ぶことで自身が変わっていく。
他者に寛大な心は自分自身のすべてを豊かにする。
心は常に海のように深く空のように広く。
厳しさの中に優しさを、優しさの中に厳しさを。
他者を真に思いやる心を育てることだ。
真に幸福な日々を送りたいなら他者に寛大になることだ。
ただし許容と妥協、寛大と無関心を混同するなかれ。
個人信用スコアの無料サービスが定着し始めた。
自身の信用力を確認できるという金融機関主導の無料サービスだ。
ただ昔から「ただほど怖いものは無し」と言われるように、
どんなサービスにしても無料には相応の裏が在るのは事実。
サービスを無料で提供する代わりに、
個人情報の収集に使われている事実は公表されていない。
SNSやチャットなどの無料サービスも同じこと。
個人の情報であっても著作権はサービス提供会社に帰属する。
自立した良識ある大人であれば、
無料でサービスを受ける代わりの代償を考えることが肝要。
自身にとって価値が有ると思った事には躊躇せずお金を払うことだ。
お金を払うことで未来の憂いが消えるなら安いものだろう。
ロジカルシンキングという思考力を鍛える手法がある。
これは直訳すれば論理的思考となる。
例えば有益に使えるのが経営戦略や事業計画、
そして特許のアイデアや技術的解決などだ。
目的を明確にしたシミュレーションと言えば解りやすい。
対して空想はただのファンタジックな想像に過ぎない。
ただ私の場合だけかもしれないが、
ロジカルシンキングと空想の区別がつかないときがある。
特に休日の昼下がりにビールを飲みながらのジャズ鑑賞。
頭の中にはいろいろな想像が複数同時に発生してくる。
多分戯れ事だと考えていると、
数日後に特許に係るアイデアに繋がったりする。
また、水際で大損失に繋がる事項をストップさせたこともある。
だから、頭が暴走を始めたら放置することにしている。
こんな自分に慣れているのか対処法は心得ている。
ただ、弊害は数日間眠れなくなるということくらいか。