一つのパーツが頭に浮かぶ。
そのパーツを考えていると別のパーツが頭に浮かぶ。
それがどんどん増えていき頭の中で収拾がつかなくなる。
浮かんでは消え、新たに浮かんでくるパーツの山。
来る日も来る日も自らをストイックなまでに追い込んで、
根気強くパーツを一つ一つ時間をかけて熟考していく。
するとどうだ。
ある瞬間、バラバラだったパーツが一瞬にして組み上がる。
この達成感に心の底から晴々しさが沸いてくる。
忘れることができないほどの大きな喜びを得た瞬間。
精神を集中させた証明でもあり継続してきたことへの勲章。
それは生涯に渡り大きな金字塔となり、
かけがえのないキラリ輝く宝玉となる。
ダビンチの絵にX線を当てても何も映らない。
それは油で薄く伸ばした絵具を十数回も塗り込むから。
だから筆の跡が残らず平坦になり透明感が出る。
1回ずつ乾かしながら塗るので完成に1年以上かかる。
残された絵画の数から計算すると、
複数の絵を同時並行で書き進めていたことが解る。
天才とは技法に加えて手法さえも編み出して行く。
ただ絵が上手いだけの人なら5万といる。
人を魅了するのは絵の上手さだけではない。
他者には真似できない神技を実現させるから。
ダビンチは肌の透明感を描き出す天才として絶賛された。
底を見極めるのは実に難しい。
経験豊富な人にとっても困難を極める。
経験則だけでは見極めることのできない代物。
ただ一つ言えること。
底を見極められないという事は大した問題ではない。
重要なのはどんな人も必ず底を経験するということ。
そして永遠に落ち続ける底無し沼は存在しないということ。
谷深ければ山高し、底が深ければ高嶺が待っている。
悪いことはまとめて起こる方が良い。
底さえ確認できれば這い上がるのみだから。
情緒豊かな生徒は人間味ある先生が好き。
目標達成に燃える生徒は真面目に教える先生が好き。
将来の目標も無くその日暮らしの生徒は、
面白おかしく冗談ばかりの先生が好き。
自分がどんな先生が好きかで自身の生き方が解る。
子供は素直に大人を評価している。
大人になってもその基本思考は変わることはない。
ところで、自分はどんなメンターを欲しているのだろうか?
欲するメンターは自身の生き様そのものであり、
理想の姿や成れの果ての姿でもある。
誰をリスペクトしているかで未来の姿が丸見えとなる。
上手くいってもメンターの生きざまを引き継ぐだけで、
メンターを越える人生を歩めることはない。
自分自身の理想郷を創出したいのであれば、
他者に頼るのではなく全てを自身の感性だけで行うことだ。
つまり、こういう生き方をする人が、
後々他者からメンターと慕われるようになる。
偶然が重なる「普遍性の法則」というものがある。
隠居前の断捨離を始めたら各種の障害が勃発した。
メールシステムの送信障害に始まり、
家中の電化製品の故障が連発。
ロボット掃除機に始まり洗濯機、ブルーレイレコーダー、
スマートフォン、エアコンに照明機器と次々に。
この怪奇現象をどう捉えるか?
私は「理想郷実現への予兆」だと考える。
メールは必要最小限のアカウントだけを残して解除し、
メールシステムをOS推奨の標準仕様に変更。
故障した電化製品は新しいものに全て交換した。
結果的に早期の進化促進を天から催促されたわけだ。
これをきっかけにして新事業のシステムを1から作り直し、
事業計画書を投資家目線で内容を刷新した。
加えて短期間に幾つものWebサイトをローンチさせる。
流れは極めて順調に善い方向へと流れている。