人当たりがよく温厚な人は、
平時には好感されても有事には期待されない。
素直で正直者は、
平時には信用されても有事には誤解を招く。
何時も笑顔で優しい人は、
平時には癒されるが有事には周囲の怒りを買う。
陽の状況下では陽でも、陰の状況下では陽が陰となる。
今は自身にとって陰陽どちらの状況なのか?
それが正確に把握できれば、
今どんな振舞いが必要なのかは自ずと解る。
陽の状況下での常識は陰の状況下では非常識となる。
これをしっかりと理解し現実を正確に見極め、
陽の姿勢と受け取られるように修正するしかない。
もう、何度も何度も経験してきた。
嵐の後の清々しい程の眩しい陽光、
晴天の合間の激しいゲリラ豪雨。
「人間万時塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」
善きことの裏には悪しきことが、
悪しきことの裏には善きことが潜んでいるという例え。
本当に世の中一寸先は何が起こるか解らない。
ゴールまで一瞬たりとも気を抜いたらお終いだ。
「人間万時塞翁が馬」、私の中で常に活きている教え。
女は守りに入ると完璧に防御し強くなる。
そして闘争本能が向上し平和を乱す者の排除に燃える。
対して男が守りに入ると哀れなほどに弱くなる。
守ることに必死で相手にやられ放題にやられる。
男の最大の守りは防御することではなく、
攻撃してくる相手を全力で排除することにある。
攻撃は腕力に非ず、
知力・財力・組織力、全てが戦いの武器となる。
守る男には自身もそして大切な人を守れない。
攻める男は守るべき人も財産も全てを守れる。
守りに入った男ほど惨めで情けない姿は他にない。
守りに入った瞬間には多くの隙ができる。
相手はその隙を狙ってあの手この手で攻めてくる。
何故なら、相手にも守るべき人や財産が在るからだ。
フェア、つまり対等な関係とは、
自身の望むことと相手の望むことを互いに担保して付き合うこと。
自身の望みばかりを要求し相手の望みは肩透かし。
これでは信頼関係を築けないばかりか、
何時かは見限られてお終いだね。
相手の望みが受け入れられないのなら、
最初から自身の望みを要求すべきではない。
それは利己主義の極みというもの。
他者から与えられるだけの人生など有り得ない。
自身の望みの達成には、
相応の相手の要求を受け入れる覚悟が必要だ。
互いの望むことを担保する、これが真の信頼関係である。