ばっさり切れて血が滴る傷口が、
30秒後には血が止まり30分後には塞がっている。
40度近い高熱で動けなくなったのに、
1時間の仮眠で元気な姿に戻っている。
消化器官が4つも無いのに、
ビールを3リットル以上飲んでも二日酔いもない。
肩と腕の痛みでまったく力が入らないのに、
いざという時には30Kgのアンプを軽々と持ち上げる。
摘まんだだけでビール瓶の栓が潰れスプーンが曲がる。
同時に複数の人の言葉を聞き分け、
複数の事を並行処理であっという間にこなす。
一瞬見た数列と文章は何時まで経っても記憶し、
数社の決算書の内容を正確に答えることができる。
信じがたい事を目の当たりにしたら信じるしかない。
目の前の事実、それは最大の根拠である。
誰もが実際に遭遇するまで信じないのは無理もない。
最近、気付いた事がある。
それは自分に合っている食べ物は飽きないということだ。
こういうものって何時でも美味しく感じる。
身体は素直に自分に必要な栄養素を欲している。
それを素直に食べるのが健康の秘訣だと思う。
欲しないものを食べても不味いだけ。
健康に良いからと不味く感じるものを食べる行為は、
一番身体に負担をかけているのではないだろうか?
私は信州の大自然の中で育った。
信州ではいまだにお返し文化が息づいている。
何かを貰ったら必ずお返しするのが当たり前。
例えば、風呂敷にお土産を包んできた人には、
その風呂敷にお返しを包んで渡す。
紙袋もそのまま受け取ることは絶対にしない。
もしも、それができなかったら、
どんなに困っても誰も協力などしてくれない。
これが与え与えられの共存共栄文化というものだ。
そんな私は貰うだけの人にはもの凄い違和感を感じてしまう。
見えるものだけじゃなくて見えないものも含めてだ。
何故、常に貰うだけでお返ししようという気持ちが芽生えないのか?
更に言えば気持じゃなく行動で姿勢を示さなくては駄目だ。
その人が生まれ育った地は他者から貰うだけの文化なのか?
それともその人独自の貰うだけの個性なのか?
いまだに回答は見つかっていない。
ただ、私も最近では大人の対応をするのが精いっぱい、
何れは貰うだけの人とは縁を切ることになるだろう。
私の人生には一方通行の関係は存在しない。
経済界には昔から伝わる法則が在る。
「水は高い処から低い処へと流れ、
お金は低い処から高い処へと流れる」
事業家になってこの意味が解るようになった。
そして「高い処」という明確な場所も知った。
成功したいと思うなら、
先ずは、「高い処」に住むことを目指すことだ。
「高い処」に「城」を築けば自然に成功へと導かれる。
「高い処」とは物理的な場所ではない。
「高い処」の住人と5年も苦楽を共に過ごせば、
明確に理解できる特別な場所である。