「火の無いところに煙は立たない」、
これは明らかなる常識の罠である。
重要なのはそこに火があるかどうかではなく、
その煙はどんな種類の煙なのかである。
化学反応など幾らでも煙の要因は存在する。
もっと言えばその煙が本物かどうかである。
常識の罠は何処にでも存在する。
表面的なものに囚われず、
核心を見極める本物の目を持つことが肝要。
そして真実だけを追究することだ。
見えるものに囚われず見えない真実を見極めよ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
ハンバーグが食べたくてレストランに行く。
メニューを見ているうちにステーキの誘惑に負ける。
結果的にステーキを頼んでしまうけど、
やっぱりハンバーグが良かったと後悔しきり。
「後悔先に立たず」とは上手いことを言ったものだ。
多くの場合にファーストインスピレーションが正しく、
熟考した結果は後悔と自失の念に押し潰される。
何かを間違えている人の多くはこうだ。
常に熟考した判断が正しいと自分勝手に思い込んでいる。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
頭で考える人は、
文章や会話の内容や状況に敏感に反応する。
心で考える人は、
表現方法や姿勢に敏感に反応する。
「ありがとうございます」、
「申し訳ありません」、
本心を素直に表現すれば充分に伝わる。
回りくどい説明は一切不要。
やましい事が無いなら本心を素直に伝えることだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
自分が正しいと考えると視野も思考も狭くなる。
間違っていると考えると視野も思考も広くなる。
自分が正しいと考えれば何も得ない、
間違っていると考えれば全てが学びとなる。
いろんな情報を得ている人ほど、
意外と視界が狭かったりする。
記憶は左脳で発想は右脳。
重要なのは左脳による知識の量ではなく、
真実を五感で見極めたうえで、
結論付けできるクリティカルな右脳での発想。
思考視界が広いとはそういうことだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
僅かなものを出し惜しんでは未来を失うことなかれ。
出し惜しみは如何なる場合も結果的に何の利益にもならない。
出すならこの瞬間に持っているものを全て出しきることだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。