人も物も財産も本当に欲しいと思うのなら、
自ら手に入れようと思わないことだ。
自分に相応しいものなら、
遅かれ早かれ自然に自分の手元に届くから。
手に入れたいものは追わずにじっと待つことだ。
「天の時を待つ」というのは、
「それを持つに相応しい人間になれ」という、
天が与えた試練なのである。
これが「謙虚に待つ」という本質である。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
親の背中を観て子は育つ。
つまり自分は親の誇りまでも背負っていると思うことだ。
子を見れば親の素質が解る。
子供の未来を考えるなら先ずは自身を律することだ。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
安全地帯を確保した覚悟など取るに足りぬ。
守るものがある覚悟は何時でも保身に走る。
丸裸になって初めて本物の覚悟が生まれる。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
良いものは良いものなりに、
悪いものも悪いものなりに、
バランスを取ってこの世に存在している。
このバランスを乱すのは、
いつも人の心の中に存在している。
人がひとたび何かを選択し行動を起こすとき、
必ず何かのバランスが崩れる。
それに気づき修正できればそれは存続し、
修正できなければそれは滅亡する。
形のあるもの無いもの、
全てのものが自然の摂理によって存在している。
真実とは目の前に起きている事実だけである。
少なくても頭の中の記憶ではないことは確かだ。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
飛行機に乗ったら最後で引き返すことはできない。
自分の意思では何もできずに身を任せるしかない。
確実に目的値に運んでくれると信じるしかない。
人生もまた同じ。
選んだ波に乗ったのなら信じて自然に任せるべきだ。
自分の人生を自分の意思で切り開くのも良いだろう。
その行動や考えもまた運命に従ったまでである。
であれば抗わず素直に運命に任すのが最善策である。
自分に起こる事象の全てが原因があっての結果である。
自身の行動に周囲が素直に反応しているに過ぎない。
起こっているのではなく自分が起こしているのだ。
であるなら起こる事象全てを真摯に受け入れることだ。
それが自身で責任を取る覚悟ということである。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。