たかがブログ、されどブログ。
文章とは恐ろしくも書き手の人間性が露見する。
自身を誤魔化そうとしても、
誤魔化して生きている人だと解ってしまう。
善い人を演じても偽善的な人だと解ってしまう。
その人のリテラシーが見事に反映され、
例えデキル人をアピールしたとしても、
文章で大いに引かれてしまう。
リテラシーが表面化するブログ、
自身の全てを曝け出す覚悟が問われる。
口語表現は誤魔化しが効いても、
文語表現は一切の誤魔化しは効かない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
意味の無い1万人の人脈は単なる知人に過ぎない。
人脈も金種も持っている1人を得れば全てが解決する。
多数の人を得ようと思えばそれに合わせて無理をする。
自分に無理して得たものは本物ではない。
本物ではないから何の助けにもならない。
たった1人で良いから有益な人と信頼関係を築くことだ。
自分に自信が在る人は数を欲しがらない。
自信がない人ほど数に拘る、
誇るものが無いからに他ならない。
物事は数ではなくあくまでも質の問題である。
数にこそ価値が有るのだと言うなら、
たった1人の有益な人は、
豊富な人脈と資金を一瞬にして用意してくれるだろう。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
お笑い番組を観て、
気の知れた仲間と飲んでしゃべって、
愛猫たちの滑稽な仕草を見ては、
心の底から大声で笑う。
頭に浮かぶ憂い事は何も無い。
ただただその時空間を愉しめる。
心の奥底から自然に笑えるって、
ある意味での幸福の証明なのかもしれない。
※耳順(じじゅん)とは、孔子論語の「六十にして人の話しを素直に聞けるようになった」という節を起源とする60歳代の呼び名である。
間違いを犯しても「謝らない」という妙なプライドは、
双方に多くの時間と神経を使わせ、
利益を生まないばかりか多くの損失を出す。
「ごめんなさい」の一言で全てが済むというのに。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。
他者を意識した時点で既に勝敗は決している。
世間の目を意識して戦略をコロコロ変えるのは、
無意識のうちに勝算を読めない不安の表示である。
※長いビジネス人生、多くの人と出会い、多くの善悪を学びました。